酒場と客の理想的な関係は存在するか

 神奈川のある場所に、私が定期的に訪れるその店はある。高級店でも限られた人間だけが行くマニア向けの店でも無く、カテゴリーに分けるのであれば、「焼鳥屋」、「鳥料理屋」になる大衆酒場だ。非常に安く楽しめる酒場ではあるが、同業者が客として頻繁に訪れる店でもある。視察と言うべきか、勉強というべきか分からないが、彼等の視線が向けられる先は、一般の客とは全く違うので、直ぐにそれと分かる。が、店の側は、彼等と一般客を区別すること無く、淡々と対応している。そんな店だ。

 狭い厨房に、常時5人から6人がおり、その誰もが実に手際よく、自分の仕事をこなしている。店は常に活気に満ち溢れ、それでいて悪酔いしている客は見たことが無い。焼き場も厨房内にあり、その担当者は開店から閉店まで、黙々と一人で焼きを続けている。店は古いものの清潔感に溢れ、その延長なのか、ビールサーバーの洗浄もしっかりとされている。そして、「大生」しか注文できない。ビールの提供の仕方、それ一つにも拘りを感じる。少し量を減らして飲みたい客には瓶ビールが、それも国内の複数のメーカーのものが数種類用意され、合わせて国産の黒ビールも置かれている。清酒は「並酒」から冷酒、樽酒まであり、それぞれ料理に合わせると同時に、客の好みにも対応できるようになっている。店主と思われる初老の男性が、客を実に上手くあしらい、様々なことに対応しているが、「鳥刺し」だけは注文が入るや否や、自ら捌き、客に供する。そんな店だ。

 この店でほぼ毎回、同じ時間に見かける年配の女性客がいる。しっかりと化粧がされ、美しく着物を着こなし、これから「出勤」という感じの彼女は、毎回必ず同じものを注文する。数ある焼酎の中から、ある銘柄の芋焼酎をロックで、そして、鳥刺しを一皿。これで全てなのだ。店主は、毎度素早く鳥刺しを供し、客であるその女性は、その一皿を堪能し、グラスの酒を飲み干し、支払いを済ませる。その間、10分程だろうか。千円札一枚を渡し、釣り銭を受け取り、店を出る。そのやり取りの全てが、実に粋なのだ。鮮やか、という表現も当てはまるかもしれない。周りの酔客も無言ながら感心しているのが分かる。

 「いい店」だから「いい客」が集まるのだろうか。それとも逆に、「いい客」が来ることで、「いい店」になっていくのだろうか。実際のところ、そこら辺のことは複雑で、どうとでも解釈できるのかもしれない。しかしながら、いい客が訪れることは、店にとって最大の財産であり、いい店がそこにあり、そこを訪れる自由があることは、客にとって本当に幸福なことなのだと思う。

 私は、こんな店と出会えた酒飲みは、それだけで素晴らしい人生なのだと改めて思う。そして、そんな飲食店を目指す皆さんには、まずは徹底的な酒類に関する勉強とビールサーバーの洗浄を、心よりお願いしたいのである。

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