ビールの産地を「隠す」ということ

 ドイツのバイエルン州に、ヴァイエンシュテファン醸造所はある。古い文献に、既に1040年の時点でビール醸造が行われていたという記述があり、現在稼働している醸造所では、世界最古のそれとなっている。この醸造所は今日、ミュンヘン工科大学との関係が深く、およそ1000年に渡る伝統と最新の知見が融合したビール造りが行われている。この醸造所の一画で、日本の某有名ビールメーカーが、主に欧州内の日本食レストラン向けにビールを造っている。技術的交流やビール文化の研究等が目的であれば、大いに歓迎されることではある。が、欧州の水、欧州の原料を用いて、ドイツで醸造されたビールを「日本のビール」として販売している。同じメーカーは日本では、ライセンス生産でオランダの有名銘柄を醸造している。ここでは日本の水、日本の原料が使われているが、多くの酒飲みはその事実を知らない。メーカー側もそういった事実を喧伝することはしない。

 また、最近特に勢いのある、「ドイツビール」を看板にした日本のビアバーチェーン店は、そのビールを北海道のある場所で醸造している。そして、ミュンヘンのオクトーバーフェストに参加する6つの醸造所の中のある有名銘柄が、実は韓国で醸造され、日本に輸入されていたりする。正直な販売店等では、小さく「韓国産」と明記されているが、一方で、「ドイツの名門醸造所のビール」と大書きされていることも多く、そもそもラベルは全てドイツ語表記である。日本の技術が用いられていれば、世界のどこで醸造しても日本のビールなのだろうか。ドイツとの何らかの繋がりがあれば、どこの水を使ってもドイツのビールなのだろうか。

 酒の個性とは、その酒が生まれる土地の個性であるはずだ。どれだけ生産や輸送のコストがかかろうが、大手メーカーお得意の「日本で一番高い山の周辺の天然水」や「北の大地の特別に美味しい湧き水」が使われたものこそが、本物の日本のビールなのではないだろうか。もちろん、某有名ビールメーカーの内部でも、こういったやり方は間違っている、という人はいるのだろう。しかしながら、そういった声に沈黙を強いるのが、企業の論理というものなのだろう。それが、世界的な激しい競争の中で、利益を生み出すということなのだろう。

 しかし、私は思うのだ。本当にそれでいいのだろうか、と。

 異国の酒類が、国産のそれとあまり変わらない価格になるということは、貿易の理論、物流のシステムから考えてあり得ない。もし変わらないのであれば、そこには何らかのカラクリがあるということになる。異国の酒を選ぶということは、そういった仕組みを理解することでもある。今、我々酒飲みは、試されているのかもしれない。

 酒飲みが「目隠し」をされること。これは、国産、外国産を問わず、酒類を選ぶ際に決してあってはならないことであり、同時に酒飲み自身が、このことに自覚的にならなければならない。一杯のビールを前にして、私は改めて強くそう思う。

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