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オレンジ色の記憶

私の生涯を通じて、私というのは、空虚な場所、何も描いていない輪郭に過ぎない。しかし、そのために、この空虚な場所を填めるという義務と課題が与えられている。それが私の生活である。

ゲオルク・ジンメル『愛の断想・日々の断想』

先日、1年以上通っている心療内科のカウンセリングで、「常に思考を巡らせてしまって、頭の中が騒がしくて、急に涙が止まらなくなる」とぼやく私に、心理士さんがこう語ってくれた。

「今はただ、目に映るものや聴こえるもの、触れるものに集中してみて。例えば、お風呂に入っている時だったら、自分の体が温まっているな、と感じることに集中するとかね。」

聞いた時は「なかなか難しいですね」と苦笑いを浮かべたが、時間が経って何度かその言葉を繰り返し頭の中で転がしていると、ある記憶が蘇ってきた。

実家の情景だ。

材木屋を営んでいた親戚が建てた実家は、昔ながらの日本家屋だ。小さな庭がついていて、居間の横に縁側があって、床の間がある部屋には琴や茶道具が置いてあった。晴れた日は、電気を付けなくても部屋全体がオレンジ色のあたたかい光に包まれる、そんな家のつくりをしていた。

記憶として蘇って来たのは、夏の昼下がり、電気のついていないリビング。

母のお気に入りの食器が飾ってある大きな棚の上に置かれたコンポからピアノが流れ、大きな白い貝殻や紫色の入ったガラス細工、小さな古いオルゴールがまばらに飾られた出窓からは夏の風が通り、白いレースのカーテンを揺らしている。

近くで背の高い扇風機が、一定のリズムで首を回し、その風を居間でまどろんでいる母に送っている。

ピアノの音と扇風機の小さな音、母と愛犬の深い寝息がかすかに聴こえる。照明を落としていることでできる影と、オレンジ色の太陽の光が混ざり合う空間。

その情景を思い浮かべてさらに思い出したのは、姉が弾くピアノだ。

私の母が昔オルガンの教師だったこともあり、私と2人の姉はピアノを習っていて、特に長女はピアノが上手で暇があれば自らよく弾いていた。

小さい頃から何をするにも不器用で、ピアノも上手く弾けなかった私には
そんな姉が奏でるピアノの音色は特別に思えた。

時間がゆっくりと流れている感覚。
あの頃は、心理士さんの言っていることが自然にできていた。

目に映るオレンジ色の光をうっとりと眺め、姉のピアノの音色に耳を傾け、自然とほのかに香る実家の木の匂いの中でまどろむ。

そんな美しい思い出ばかりを実家に詰め込み、ずっとそのまま留めておけたらどんなに良かっただろうか。

もちろん、どの家だって良い思い出もあれば悪い思い出もある。皆それぞれに折り合いをつけて、大人になっているのだろう。

だけれど、私の中では、あの家での美しい思い出と悪夢のような記憶があまりにも分離し過ぎていて、その折り合いがずっと付けられずにいる。

目に浮かぶ光景を、再び実家で見て、聴くことができたとしても、あの時間はもう流れることはない。
今ではもう、あの家で同じ感覚を味わうことはできない。

もうそう諦めてしまいたいのに、心のどこかでまだあの感覚を味わうことができるのではないか、と期待している自分がいる。

そこで生じる溜息にもならない空虚さが、ずっと私の心の奥底に沈んでいる。それはもはや私自身とも言えるかもしれない。
他者から何を受け取って心に落とし込んでも、全て底なしの穴の奥深くに吸い込まれ、自分自身さえも飲み込まれて消えていく。

そんな感覚を初めて振り払えたのは、夜の鶴岡八幡宮の段葛だった。

夜の鎌倉は人気がなく、少し不気味にも見える。あちらこちらに咲く紫陽花を目に留めながら、光が集まっている段葛へと足を運んだ。

そこには、ずらりと並んだ石灯籠が、鶴岡八幡宮までの道をやさしく、かつ厳かに照らしていた。入口から見てみると、その灯籠はどこまでも続いているように見えて、ずっと歩いて行けばいずれ “ここ”ではないどこか に行けるような、そんな気さえする。

目に焼き付けるようにその情景を眺めながら、ずっと押し潰されていた肺が膨らみ、何の突っ掛かりもなく空気を吸える感覚を覚えた。

思えば、あの石灯籠が放っていた光も、オレンジ色だった。

騒がしい頭の中が、すうっと静かになり、ただただその時間に身を委ねる。
あの家で感じていた、ゆっくり流れている時間がそこには流れていた。

きっと、この空虚を填めることができるのは、そうした時間なのかもしれない。

大きな問題と、その解決がもう期待されないのに、それでも問題へ向って行く勇気と、人間として、これ以上のものを望み得ようか。

ゲオルク・ジンメル『愛の断想・日々の断想』


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