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世界一周、ベンチャー起業を経てサッカー業界へ 【Who We Are #2】

こんにちは。SHIBUYA CITY FC を運営する株式会社PLAYNEWで取締役を務めております、小泉 翔(32)です。

愛すべき学生インターン 川上 皓輝(コウキ)からバトンを受け取り、(「翔さん!さあ!書きましょう!」とリマインドいただきながら)自己紹介noteを書いていきます。

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ざっくりこんな経歴でございます。Twitter(@shokoizumi)より抜粋。

今回のnoteではどんな人生を歩んできたか、CITYとの関わり、現在CITYで何をしているかについて書いていきたいと思います。

サッカー・旅・起業

1988年に埼玉県狭山市で男3兄弟の三男として生まれ、幼少期から兄たちとサッカーをして育ちました。自慢のように聞こえてしまうかもしれない完全なる自慢話なのですが、小学6年のときに埼玉県選抜に選ばれ、出場したフジパンカップという都道府県対抗の大会で全国優勝をした経験もあります。

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高校では大宮アルディージャU-18に所属し、なでしこジャパンをワールドカップ優勝に導いた佐々木則夫さんに3年間監督として指導していただきました。いかんせん小学校で全国優勝し、ユースにまで入れたものですから、家族や周囲の友達からは「プロのサッカーになってくれるのでは!」と期待されていた記憶がございますが、高校1年時の大宮ユース入団時からチームメイトとのレベルの差に「あ、プロにはなれないな...」と悟りました。

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プロになる夢を諦め指定校推薦で立教大学に入学。しかし15年近くほぼ毎日続けていたサッカーが突然無くなる生活にすぐ慣れるわけもなく、当時関東リーグに属していた飯能ブルーダー(現 ACアルマレッザ入間)に入団しプレーを続けました。

大学2年から3年に上がるタイミングで、「就活が始まるのに、このままサッカーばっかりやってていいのだろうか...。行きたい会社どころか将来やりたいこともないの、ヤバイんじゃないか...」と焦り始め、「就活が始まる前に、他の人がやっていないこと・自分がやりたいことをしよう!」と、3年時に1年大学を休学し、ずっと興味のあった語学留学、世界一周旅行に行くことにしました。

立教の提携校であるケント州立大学というオハイオの大学に1セメスター留学し、修了後にバックパックに荷物を詰め替え、ニューヨークを経由し南米ペルーへ。アルバイトを掛け持ちしてかき集めた120万円で5か月弱の貧乏旅行、20歳初めての一人旅でした。

南米、ヨーロッパ、中東、アフリカ、アジアを旅し、本当にいろいろな経験をさせてもらって、無事元気に帰国しました。(荷物は初日ペルーの空港でロスバケ被害に遭いすべて失い、身軽な旅でした涙)

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旅の途中で出会った日本人の仲間と、帰国後に「もっと旅を広めたい!一歩踏み出すきっかけをつくりたい!」という想いでTABIPPO(タビッポ)という学生団体を創り、イベントやメディアで旅情報を発信したりしました。

新卒ではサイバーエージェントに入社し、WEB広告やマーケティングを素敵な先輩方から学ばせていただき、2014年に退社、TABIPPOの創業メンバーも一斉に会社を辞めTABIPPOを株式会社化し、起業しました。

海外の政府観光局や航空会社、ホテルなど旅行関係の企業さんの若年層向けマーケティングから、旅をテーマにした1万規模の野外フェスの企画・運営、出版事業まで、幅広く楽しく働いてきました。

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ワールドカップ現地観戦、CITYとの関わり

2014年4月、TABIPPOを法人としてスタートしたそのタイミングは、ブラジルW杯を3か月後に控えた時期でした。大のサッカーファンとして、サッカーの聖地ブラジルで開催されるW杯。旅行業界の端くれとしても、旅×サッカーの掛け合わせほど幸せなことはない!せっかく起業して自由に決断できるのだから!と、現地観戦を決め込みました。

人生のハイライトのひとつだと言えるほどの感動や興奮、ボール1つあれば誰とでも仲間になれるサッカーの偉大さを体感する2週間の旅でした。「死ぬまでずっとワールドカップは現地で観戦したい。いつか日本代表が優勝する姿をスタジアムで観たい」と強く感じ、2018年のロシアワールドカップも現地観戦しました。

ブラジルワールドカップから帰国すると、CITYの代表の山内や同世代の仲間たちが、TOKYO CITY F.C.(現在のSHIBUYA CITY FCの元となるクラブ)という草サッカーチームを立ち上げているではありませんか。TABIPPOを創業したばかりの年でしたが、土日には仲間たちとボールを蹴り、「今までにないクラブとは?」「都市型のクールなクラブとは?」と、クラブの立ち上げ期から壮大なビジョンを語り始めました。

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2015年に東京都4部に加盟、1年で優勝し、2016年に東京都3部。ここでつまづき3年かけて優勝、2019年に東京都2部へ。プレーヤー、キャプテン、選手会長などなんだか偉そうにいろんな役職をやらせてもらって、東京都2部初年度にはもう全然走れなくなっていたので現役サッカープレーヤーを引退しました。当時はTABIPPOが本業でしたので、平日の朝や土日にクラブのフロントのボードメンバーとして活動に参加し、法人化の準備も進めてきました。

2020年の6月にTABIPPOを仲間に任せ、7月に役員としてフルタイムでCITYに。サッカーに人生を賭ける生活をスタートさせました。

TABIPPO 退職ブログ

CITYでの役割、やりたいこと

コウキから指定されている文字数が気になって、いちばんたくさん書きたいこのパートをまとめ切ることができるのか非常に不安です。こういうことを書いているとどんどん文字数が削られていくこともわかっています。
(編集者より:すべて使わせていただきました!)

CITYでの役割は事業責任者として多くのスポンサー企業様と提携し仲間になっていただくこと、パートナー企業様と一緒に新たなビジネスを創っていくことなど、クラブの資金をつくっていくビジネス周り全般を担当しています。先日リリースし、多くの方に参加いただいているFiNANCiEさんとの取り組みも企画運営を行なっています。

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都リーグ1部というまだまだJリーグ参入まで長い道のりではありますが、非常に多くのスポンサー・パートナー企業さまに支えられており、法人・個人を含めると現在150以上の提携企業さんがおり、今年度中に300社、1億円の粗利目標を目指し日々奮闘しています。

TABIPPOの頃からやっていることはあまり変わっておらず、パートナー企業様にとってどんなメリットをお返しできるか、関わってくれているファンサポーターの方々をどうやって喜ばせるか、そしてクラブのブランド価値や収益性をどう高めていくかという「三方良し」な取り組みの実現をいつも考えながら生活しています。

また、とにかくいろんな人と出会い、様々なことを学びたい性格なので、事業作りに関わらずフットワーク軽くサッカー業界・エンタメ業界の先駆者の方々にお話を聞いてはCITYへの熱と将来性を語り、協力していただく、仲間になっていただく、という外交的な役割を勝手に担っているつもりです。

やりたいことはSHIBUYA CITY FCが世界で戦える唯一無二のフットボールブランドとして成長すること、日本全体のサッカー文化底上げに貢献すること、そしていつか日本代表がワールドカップで優勝すること。

今は事業面を担当していますが、よりチャレンジングな挑戦をしつづけるためのクラブにとってのアクセルのような存在でいたいなと思っています。

最後に

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2021年、TOKYO CITY F.C.はSHIBUYA CITY FCへとクラブ名を変更しました。この半年間だけ切り取っても、渋谷を中心に非常に多くの方々にクラブを知っていただき、応援・サポートしていただき始めたことを、肌で感じています。

新型コロナウイルスの影響で公式戦が延期になったり、無観客の試合が続いたりと思い通りにいかないことももちろんあります。しかし、CITYの面白さはまずこのJリーグ参入までの急成長期間だと思っています。「共創」をテーマに多くの方々とコラボし、共に新しい時代を創っていけると、心から思っています。

サッカー、スポーツに関わらずご一緒できる文脈を探す作業は大好きですし、少しずつ実績と知見も蓄積されてきている感覚もあります。ぜひ一緒に熱い夢を追いかけたいと思ってくださった方には、お気軽にクラブにコンタクトを取っていただけますと幸いです。


試合情報

次戦は6月27日(日)に東京都1部リーグ第10節で Intel Biloba TOKYO と対戦します!YouTube配信、Player!での応援をよろしくお願いします!


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文:小泉 翔(SHIBUYA CITY FC スタッフ)
企画・編集:川上 皓輝(SHIBUYA CITY FC スタッフ)


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