映画『アウェイデイズ』にがっかりした理由は、登場人物の描きわけにあった
映画『アウェイデイズ』は観ましたか?
ぼくは、イギリスカルチャーをこよなく愛しております。とくに、イギリスのユースカルチャーは大好物であります。
「パンクとはアテチュードである!」と高らかに謳ったジョー・ストラマー。よりも、ぼくは「モッズとはアテチュードである!」とシャウトするポールウェラーが大好きなのだけれど、モッズはやっぱり60年代。まさにユースカルチャー黎明期は、激アツなわけです。
T・レックスなんて、ブギー奏でる前はボニーバレットっていう有名なおしゃれモッズやっていたし、いまでは泣く子も黙るローリング・ストーンズも、モッズバンド時代(マディウォーターズとかをコピーしてた時代)は、バンド演奏前にDJたちに演奏する曲のレコード全部かけられちゃったりしてたんだから。
それくらい、オリジナルモッズは気合入っていたわけです。
で、アテチュードという意味では、40歳になってなお、ぼくも心はモッズなのであります。
だから、映画『さらば青春の光』なんて、いまだに好きだし、デジタルリマスター版の上映には、もちろん行きましたよ。
で、さらに心を奪われたのは、映画『ノーザン・ソウル』ね。
ここら辺のことは、前に書いたことがあるので、割愛します。
そんなもんだから、ものすごい楽しみにしていた『アウェイデイズ』。なのに、ものすごいがっかりしちゃったのが『アウェイデイズ』……
もう上映が終わるときに、「ベルボーーーイ!」ってくらい
『アウェイデイーーーーーーーズ!!』って、心の中で叫んじゃったもの。
というか、英国ユースカルチャーものを観て、がっかりした自分に驚いちゃったほどです。英国ものには、下駄ならぬブルースウェードシューズ履かせまくって観ちゃいますからね。
なのに、なぜ!?
これがおじさんになるってことなのか……と、しばらく自問自答しておりました。
そもそも映画『アウェイデイズ』は、1979年のイギリス北部が舞台。サッカースタジアムで暴れるフーリガンの別称として呼ばれた「カジュアルズ」に青春をかけた青年たちの物語です。
で、この「カジュアルズ」というのが、いままであまり日本では語られてこなかったけど、実は何気に浸透しているファッションカルチャーでもあるわけです。
90年代のブラーとか、オアシスとかのスタイルって、かなり「カジュアルズ」に影響を受けているわけです。特に、アートスクール出身のブラーなんて、直系なのかなっていう感じです。
具体的には、アディダスのスニーカーに、タイトなジーンズ。軍もののフォード付きウインドブレイカー(たぶんPeter Storm製のカグール)に身を包むスタイル。
なんとなく、大人しめに見えるのは、中身の凶暴性を隠すためだったとか。
そこらへん、どことなくモッズの系譜でもあるような気もします。
もちろん本作は「カジュアルズ」のカルチャーを紹介する映画ではありません。「カジュアルズ」のスタイルをまとった「パック」というフーリガン仲間の中で葛藤する、主人公カーティと親友エルヴィスのお話し。
それは、わかっているのです。でも、なぜか、グッとこない。
暴力の描写が多いから?
ドラッグ描写が多いから?
性描写が多いから?
う~ん。そのどれもこれもが原因ではないのです。そんなこと言ったら『トレインスポッティング』なんて観れないもの。
で、考えて考えて気づいたのが、これ。
『アウェイデイズ』が描こうとした「テーマ」に対して、青春ものという「モチーフ』」はいいのですが、「素材」としての「カジュアルズ」というフーリガンがハマっていないような気がしたのです。
この話、別に「カジュアルズ」じゃなくても成立しちゃうわけです。
『さらば青春の光』も『ノーザン・ソウル』も、「モチーフ」は青春ものです。でも、この二つは、「素材」がモッズなり、ノーザンソウルでなくては成立しません。
でも、『アウェイデイズ』は、別に「カジュアルズ」を「素材」にする必要がなくって、別に冴えないバンドものにしてもよかったんじゃないの?という感じ。
なぜそう思えるのかというと、主人公のカーティの葛藤と、その親友エルヴィスの葛藤が同程度に描かれていることで、「テーマ」がぼんやりしてしまうのです。だから、別に「カジュアルズ」を使わなくても描けちゃう感じがして、英国ユースカルチャー好きとしては、グッと来なかったのだと思います。
主人公は、ラウンド型で描き、脇役はセミラウンド型で描くというシナリオの技術があります。『アウェイデイズ』は、もっとカーティをじっくり描いてくれればよかったのじゃないかと思うのです。
(もしかしたら、原作の小説は2人の視点で書かれてるのかもしれないけど……そこは脚色の腕の見せどころのはずですし!)
そうすれば、「カジュアルズ」をまとうフーリガン集団「パック」の一員になりたいけれどなれない、どこにも居場所が見つからないカーティのアウェイな日々が「カジュアルズ」というカルチャーとともに浮き彫りになったと思うのです。
だって、『さらば青春の光』のジミーはラウンド型で描かれますが、ほかの登場人物はすべてセミラウンド型です。『ノーザン・ソウル』もそうです。
人物の描き分け、これ、とっても大切だということです。
『アウェイデイズ』に感じた違和感は、「カジュアル」に対してじゃなかった!と、ぼくなりにホッとした次第であります。
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