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【呟き】『女性の社会進出』というワード


※以下、完全に自分の独断と偏見を多分に含んだ意見なので、そこはご容赦を。

政府やいろんな有名人が『女性の社会進出』などをスローガンに掲げてアピールしてくれているのに、自分が斜に構えすぎているだけなのかもしれないが、素直に嬉しいとも有り難いとも思えない。『社会』への進出を声高に叫ぶ前に、改善すべきことが有るだろうと思うから。

これまで数多くの内閣が、『女性の社会進出』『女性の活躍』『男女共同参画』といった一見「女性のみなさん応援してますよ」的なフレーズで、いろんな政策を打ち出して社会基盤の拡充や改善を図り、支援策を実施してきた。

男女共同参画社会とは、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」です。(男女共同参画社会基本法第2条)


うん十年前は、そもそもの女性の社会的地位が本当に低く、会社における女性は、お茶汲みやコピーといった仕事に代表されるように、家庭で夫や子供のために尽くす女性の延長線上のような扱いだったのだろうと思う。自分がIT業界に就職して社会人になってから二十年ほど経つが、就職したころは、システムエンジニア・プログラマと呼ばれる職域における女性技術者は少なく周りはほぼ男性だった。今は当時と比べると女性の数も増え、責任ある立場に就く女性も明らかに増えている。

穿った見方をすると、政府がここまで大々的に(選挙パフォーマンスのネタになるくらい)力を入れている理由の一つは、人口減少と人口の高齢化による労働人口の減少からくる税収や経済利益の減収を女性の労働によって補いたい思惑が一番大きいのではと思う。理由はともかく、割と本気で色んなことをしてくれているのは認める。
そんないろんな先達の努力のおかけで、世間一般の固定観念も会社の仕組みにおいても、昔に比べると活躍する女性を阻む壁は格段に低くなってきていると思う。ここ十年ほどは更に、影響力のある人たちが積極的に啓蒙し、政府や行政が女性の社会進出のための社会基盤を整えたり、法整備をしたり、支援策を実施している。

なのに、世界水準では未だ日本の女性の社会進出に対する評価は低い。2021年発表の「ジェンダー・ギャップ指数(GGI)」では、世界経済フォーラム(WEF)版では、156ヶ国中120位。日本はG7最下位、なんなら何かと話題に上るお隣の韓国・中国よりも低い。
内訳と使途が適正かはさておき、男女共同参画のために、うん兆円規模の予算をつぎ込んでいながら、なぜこんなに低いのか?

いくら立派な『箱』をいくら用意しても、そこに収められる『モノ』が箱に合った形状をしていなければ、箱が提供するスペースは有効活用できず、無駄な隙間が残ったり箱からはみ出したり。

『箱』は、社会基盤や会社の仕組みの部分。
『モノ』は、そこに収まる『家族』や家族を構成する『人』。

つまり『社会』という枠組みの基盤を整備しても、基盤を活用しそこに収まるはずの『社会』を構成する人々が築いている『家庭・家族』という枠組みの概念が、整備している基盤を使いこなせる域に達しておらず、かつ相性が悪すぎるのだと思う。加えてこの基盤を運用する『人』が前述のように成熟していないため、基盤を適正に運用出来ていない。

今の日本に対してそんな印象を持つ。

この『人』が一番の問題で、古くから脈々と受け継がれている性別役割分担の固定観念に囚われていることだと考えている。男性の持つ女性像も然り、女性自身の持つ女性像も然り。『家族』の枠組みを適正に運用出来ないのに、基盤を適正に運用出来るはずがない。そしてお役所はこの性別役割分担の改善を提唱しているのに浸透していない。なぜか?

よく男女双方に対する不満を聞くことがあるが、男女ともに問題があると思う。

今の日本人の性別役割分担の固定観念は、江戸時代に遡る。幕府の政策で作られた『家』の概念と三従の教え「女性は父に従い、結婚してからは夫に従い、老いては息子に従う」という男性至上主義・女性蔑視の概念と、跡継ぎ無きはお家断絶という政策により、女性には子供、ひいては男児を産むことが義務のように押しつけられた。これが日本人の潜在意識下に刷り込みのように染み着いていると思う。時代の経過とともに核家族化して『家』の規模はさらに小さな『家族』になってなお、この概念が潜在意識の中に引き継がれ、男性・女性の在り方として固定観念として、あるいは男とは女とはというイメージの固定化に繋がっているのだろう。

家庭運営において『妻』『母』という役割に対する女性依存度の高さ。家事、育児、果てはダンナサマのお世話は『妻』『母』の専売特許と言わんばかりの分担比率。子供を産んでこそ!という圧力。それを許容してしまう女性の意識。

経済基盤の確保において『夫』『父』という役割に対する男性依存度の高さ。金を稼ぐのは『夫』『父』の甲斐性。『夫』『父』が稼いできたお金を自分に使うのは当たり前。それをステータス・甲斐性として誇らしげに思う男性の意識。

『家庭』における家事・育児・ダンナサマのお世話は『妻』『母』の役割だと思いこんでいるが故に、『夫』『父』は分担しても「手伝っている」感覚しかない。自分の役割だという自覚が無いのだから、成長するはずもなく、申し訳無いが、たいして役に立たない。よってそういう環境にいる女性は、《結婚・出産》に伴って《キャリア》を諦めざるを得なくなる。

逆もまた然りで、『家庭』の経済基盤を支えるのは『夫』『父』の役割だと思いコンテいるが故に、『妻』『母』は働いても経済基盤を支える「手伝いをしている」感覚しかないのだ。よって《結婚・出産》に伴って《キャリア》を選ぶ(=確実な経済基盤の確保、結果としていわゆる社会進出)という選択肢を自ら捨てている。

振り返ってみたときに、この感覚を無意識に言葉にしていることはないだろうか?料理が苦手な女性に「お嫁に行くときに困るよ」とか、家事が得意な男性に「結婚しなくても困らないね」とか。私の世代からみたオジサマたちにはこういう発言を臆面もなく発する人が意外と多い。また、家事や料理が得意な男性に「すごいね!」と誉める人はいても、家事や料理が得意な女性を見て「すごいね!」となることはあまりないのではないか?料理が得意な男性を見て男性らしいとは思わなくても、料理が得意な女性を見て女性らしいと思うことはないだろうか?妻や彼女が自分より高収入だと心のどこかでモヤモヤした気持ちが生まれていないだろうか?私はこれこそが日本人の悪意なき潜在意識下に刷り込まれた性別役割分担だと思っている。日本人の美徳でもあり欠点でもあると思う。

もちろん自分の親や祖父母の世代と比べると、『夫・父』『妻・母』の役割分担に多様性は出てきており、前述の固定観念に囚われず上手くいっている家庭も増えている。とはいえ、やはり脈々と受け継がれる日本の歴史の中で育まれた性別役割分担の概念は、日本人の中に無意識に刷り込まれており、容易に脱却出来るものではないと思う。

この役割分担を悪と断定するつもりは全くないし、このような性別役割分担の観念が間違っていると頭ごなしに否定するつもりもない。なぜなら、性別の差による得意不得意は人体の作りとして否めないものであり、これは役割分担の適正に大きな影響を及ぼすからだ。また何が幸せか、何が得意か、何をしたいか、どんな生活をしたいかは人それぞれで、この役割分担に本人たちが納得していて「もしも」というたらればの後悔がないのであれば、それは当人たちにとっての正解でありベストなのだと思うからだ。とはいえ、双方の望みが合致し、得意不得意を鑑みて合意の上で適材適所をロジカルに選択した結果によるものでないならば、破綻の未来に繋がる確率を高めただけのように思う。

客観的に見た時に、日本では前述のような固定観念というより、もはや刷り込みに近い意識が未だ強いため、女性は往々にして、結婚・出産・子育ての局面において《キャリア》か《家庭・家族・結婚・子供》かの二択を迫られる確率が非常に高い。結果、社会進出・社会的成功を手にして《家庭・家族・結婚・子供》を諦めた、もしくは《家庭・家族・結婚・子供》を選んでキャリアを諦めた、そういうケースは今でも多いと思っている。

納得してもしくは望んで選んだ人の場合、男女ともに染み付いた無意識下の固定観念が選択前に第三の選択肢を減らしており、はたまた『家族』の理解が得られず否応なしに第三の選択肢を潰されてしまっているのだ。もちろん第三の選択肢を選べない理由は、健康上の理由など他にある場合もあるが。

この件について先進的な国では、ここでキャリアを捨てるという選択肢自体が差別であり不平等であり権利の侵害であるという意識が強いのだと思う。自分の役割だと思うからこそ主張する必要性を感じており、《キャリアも家庭も子供も》という第三の選択肢が存在しており、二択ではないことが当たり前なのだろう。

冒頭の男女共同参画社会基本法第2条では『共に責任を担う』と書かれている。個々の認識と意識を抜本的に改革、つまり双方が相手の性別役割だと思っている事について「手伝っている」感覚を捨て、自分の役割として責任感を持つことがスタート地点なのではないか。固定観念で相手の役割だと思っている事柄を自身の役割だと認識し、選択肢が増えた状態で選択出来るような環境を『家庭・家族』の枠組みの中に設けなければ、巨額の税金を注ぎ込んで用意された箱は有効活用されないし、箱の効果は発揮出来ない。

現状、政策や法整備、会社の仕組みが整備されても、この『箱』を効果的に使える人が少ないため、いわゆる『女性の社会進出』が結果として数値に現れないのだと思う。


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