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障害者という言葉

障害とはってGoogle先生で調べると『正常な進行や活動の妨げとなるもの』と出てくる

さらに障害者とはってな具合になってくると、障害者基本法という法律の中で『身体障害、知的障害又は精神障害があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者』とされている

本質はとりあえず置いておくとして、わたし達にとって分かりやすいのは、要するにマイノリティとマジョリティの違いが大きいように感じてしまうのだけれど、果たしてどうなのか

結局のところ、多数派がまかり通るんだろうなっては思ってる

その中でわたしが当事者として日頃感じていることを、少し書いてみたいと思う


わたしが障害者と認定されたのは実はそんなに前ではなく、いろんな疾患を経てその当時の医者が探し出してくれたからってのはあるけど、多分その疾患だと見つかっていなければ今もまだ迷走して時間が今以上に無駄になっていたんじゃないかって思う

世の中で様々な疾患が少しずつ明るみになりつつある中で、まだまだ治らない、完治できないご病気を持つ方は沢山いる

わたしの疾患は『双極性障害』という、いわゆる躁うつ病で、詳細が知りたい人がもしいたら検索して下さいって感じだけど、今回話す内容はどんな疾患かってのはさして重要じゃなくて、あくまで個人的な感想になるから注意して欲しい

わたしの疾患が明るみになって10年以上になるけど、医学が発展しない限りこの病気が完治することは難しいらしい、生涯わたしの中にあり続けるものだと覚悟している

近年、障害者にとっての理解は本当に少しずつ進んでいて、10年前の環境とは大いに違っていると言うのはわかる、ただ反面で、これしか広まっていないのか、って思うことも多々ある

結局はマイノリティ、マジョリティには勝てない

でもわたしたちが根本的に目指すのはマジョリティではなく、自身の確立と生きやすさにあると思っていて、もちろん健常者には憧れるけど、いまのわたしではなれないからさ、無理

広い社会に適応する必要はなく、自身の手の届く範囲で確立出来ればいいんだって思ったのは割と最近のこと、全員に理解されなくていいんだよな、ほんとに

TVとかでやっている障害者を主体にした番組、あれで世界を覗けるのはいい事だけど、結局は大衆に向けての障害者への理解だから、さして意味は持たないんだよな、そんなのみんな分かってるだろうけど、障害者と呼ばれた人達はみんな違うし、同じ疾患であっても働ける人もいれば無理な人もいる

まず、疾患名が付くのが嫌で通院していない人もいて、これは自身の生きやすさに関わってくることだから任意でいいと思うけど、昔わたしが支援員に『楽になれるのであれば薬に頼ってもいいんだよ』って言われて救われたことがあるように、疾患名がついたから楽になる人がいるのも確かなんだよな

疾患を知れば『障害特性』というものがわかる、これで自分の傾向が知れて、自身や他者に対して対策が取れるようになってくる

わたしはこの障害特性を知ることで生きやすくなった1人で、これはわたしのせいじゃなく、疾患がそうさせているんだって思うことで責任を疾患に擦り付けることに成功した笑

精神疾患の患者さんに多いのは、自分を責めてしまうことだから、それが軽減できるなら疾患のせいにしたっていいんだよね、誰も傷つけないし

自分を許したり、諭したり、これは健常者だって難しいけれど、精神疾患と向き合っているとこれらを考える時間が人より多くなっていく気がしている

健常者からみた『考えすぎ』
そう、わたしたちは考えないと動けない
答えを出したくなる、そんな生き物

そこまで考える必要ないよ、そう言われることが多い反面、わたしたちはこうやって答えを出すことで生きてきたんだよな

勿論考えすぎはよくないよ、特に夜に生死について考えたりするのは本当によくない

でも考える時間を昼にして、時間を決めて死生観について考えたりするのは許したり、何事も工夫なんですよ

考えすぎる癖がでるときは余裕が無いし、そこを対策した上で自分にセーブがかけれるならやってもいいんだよね

がんばれだとか、やる気がないだとか、怠けているだとか、不誠実だとか、それらと同じくらい『やっちゃ駄目』って言葉は当事者に大いに刺さるから、ほんと、やり方次第だなって思う

わたしたちは法律の定義で言うところの『相当な制限を受ける者』だからさ、最低限のルールは敷いて自由にしてもいいってなれば、結果オーライな訳ですよ

ただ、障害特性の中には自身をセーブ出来なかったり、社会性というか、暗黙の了解が分からなかったり、いわゆる空気が読めないってなる人も多く居るのは確か

そういう人と出会って、もし付き合うのに疲れたら、障害の有無に限らずちゃんと離れてください

マイノリティを贔屓するのはそこじゃないからさ、難しいところだけど、自分のキャパシティを超える人付き合いなら、健常者や障害者問わず離れないとなんですよね

逆に言えばそれだけでいいんですよ、自分に合うか合わないか、それだけでいいんです、ひとは


そうなってくると障害者への差別をなくそうとかいう動きは一体なんなんだ?ってなるけど、差別をなくそうって言ってる時点で差別なんですよね

その人を受け入れられるかだけでいいんです、それ以上を求めてません、ほかの障害者は分かりませんが少なからずわたしは別にいいです

これさ、自身のキャパシティを超えたらってとこ、まるで最近の自分なんですけど、あまりにも考えすぎて体調悪くしちゃったんですよね多分

こうなるからほんと良くない、定期的に誰か止めてください笑

こうやって人に頼ることを覚えてきたのも、割と最近なんですけどね


障害者という字?

最近では障がい者って直してる動きがあるけど、わたしも一時期障がい者の方がいいのかなって思ってたけど、なんか別にどっちでもいいかなって

だって治りはしなくても乗り越えるもん、障害なんて


最近、友達が出産して可愛らしい女の子が生まれた

母子ともに健康でなにより、これからも大変だろうけど、こんなに優しい報告が聞けてよかったと思う

そのうち会いに行けたらいいのだけれど

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