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大阪

 大阪府、高石市。
 地元大阪の人間でも「どこ?」となるような、人口五万人くらいでギリギリ市を名乗っている取り立てて特徴のないまち。私はそこで生まれて、育った。
 いつも思うのだが私は人と比べて過去のことをよく覚えていない。より正確には、過去のことを思い出そうとする回路が人よりも脆弱な気がする。だから地元高石のこともあまり思い出せない。だからこそ、何か思い出す回路を少しでも作るためにこの文章を書き始めた。 
 高石は海に面している。かつては海水浴場があったらしいが、今はただの汚い海だ。
 その海には埋立地が作られていて、化学工場からやや不気味な煙や炎が吐き出されている。そのせいで、たまに光化学スモッグ注意報というのが出て、体育の授業が中止になることがあった。今もそうなのだろうか。
 私はこの工場と元々の海岸線の間にある運河が好きだった。好きと言うほど明確な気持ちを持っていたかはおぼつかないところもあるが、そこそこの頻度で行っていた。
 海岸沿いには大きな公園がある。府営の浜寺公園。なぜかゴーカートがあって小さい頃はよくそれに乗った。あと祖父と二人で野球の練習もよくした。たぶん小学校低学年くらいの話だ。
 その公園の敷地内の海岸と工場の埋立地のあいだが、手漕ぎボートのレースコースになっている。私はたまに、そしてなぜか寒い時のほうが多かったのだがそこに夕方ごろ行って、日が沈んだ後の工場夜景を眺めていた。
 特段工場夜景が好きなわけではない。また信じられないほどきれいというわけでもない。もちろんきれいだが、それを見て感動するわけでもなく、反対に感傷的になるわけでもなく、ただただ時間が流れることを確認するかのようにして、日が沈んで工場夜景が浮かび上がるさまを眺めていた。
 世界というのは、どこまでを世界と考えるのかという問題があるにせよ、自分では見尽くすことなどできないほど広い。当然世界の全てを生きているあいだに見ることなどできない。もちろん、そのことがとりたてて悲しいとかいうわけでもない。
 そこで見ていた運河の水面、背後の工場夜景、沈んでいく太陽、色が変化していく空、運河沿いを走るランナーあるいはチャリ、埋立地のほうを通っていた阪神高速湾岸線、そこを走行する車と並び立つライト、架かっている橋、他にも色々あっただろうが、見ているとひとまずこれで世界の全部でいいでしょう、というような気持ちになった。それってどういう気持ちなのかと聞かれても、これ以上の言葉は出てこない。
 場合によっては、運河をぐるっと一周するかたちでチャリを走らせることもあった。一周20分くらいだったろうか。それで思い出したのだが、高校生の頃を中心によく自転車で少し遠い所へ行った。友達と自転車で和歌山、神戸、京都に行くというのもやったが、岸和田や泉佐野といった、電車なら20~30分かかるような少し遠めの場所に、本当に何の目的もなく、休日に家族にちょっと外出てくるとだけ告げてチャリを走らせた。
 自分の家の周辺を除けば、たいていの景色は車や電車の窓から見ることになる。でも自転車で通ると、同じ景色だとしても見え方が違う。当然自転車でなければ見つけられないような景色もたくさんある。そうした景色がとりたてて素晴らしいというようなことはもちろんない。普通だ。そういう普通の景色がどこまでもどこまでも広がっていて、でもそんなに普通なのにその景色は今まで見たり気づいたりすることがなかったし、おそらくそれっきりでもう二度と目にすることもない。そういう普通のことを、チャリを走らせながら確かめていたのかもしれない。
 あと、なんといっても時間が経っているという感覚。ペダルを自分で漕いでジリジリと前進していくことで得られる確かな時間の手触り。時間が確かに流れている、気がする。自分は今確かに生きている、気がする。
 これは多分ここ1,2年の話だが、座って電車に乗っているときに、ふと時間の流れをちゃんと感じてみよう、と思い立ったことがあった。自分の感覚を研ぎ澄ませ、今時間がここで確実に流れていっているということに意識を集中させる。今、今、今、今、今、今……。電車のスピードによって流れていく外の景色の躍動感が、いつもよりもありありと感じられるような気がした。
 3年くらい前に高石から東京に引っ越してきた。この3年で色んな変化があった。よい変化だった。それでも時おり高石に帰省する。帰省したら、だいたいじっとしているが、たまに散歩をする。人が少ない。運河では今日も日が沈む。工場夜景が浮かび上がる。もしそれを目の当たりにしていたら。そこでは普通の景色とともに時が流れていく。それを私は見ている。今、今、今……。


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