第2回:『正論』を定期購読する

 前回の補足から始めたい。私がネトウヨっぽくなった原因として、中学に入ってから起きた異変を挙げた。それはすなわち、周りの友達たちが「男らしさ」を誇示する競争を一斉に始めたことだった。こうした競争を目の当たりにして私は混乱した。その結果として、学校行事に対して積極的に消極的な態度をとるようになったりした。しかしその一方で、当時通っていた学習塾の友達と話す際には、学校での消極的な態度の埋め合わせをするように、何かに急き立てられるかのように懸命に下ネタを口走ってもいた。こうした一方向に振り切ることのできない中途半端さというのは、私の人生における通奏低音の一つであると言える。

 では今回の本題に入っていこう。歴史問題をきっかけとして右派思想になじんでいった私は、読書の範囲を歴史のみならず政治・経済・軍事などへと広げつつ、順調に右傾化していった。それなりに名の知れた右派言論人の著作や文章にはそこそこ触れていたとおもう。具体的には、渡部昇一、櫻井よしこ、水間政憲、三橋貴明、日下公人、百地章、黄文雄、石平、中西輝政、八木秀次、西雄幹二…。挙げ始めたらきりがないが、思い出しながら列挙しているだけで懐かしい。

 一部の人にはピンとくるかもしれないが、今挙げた人たちのことを知ったのは、主に雑誌『正論』の誌面を通してであった。当時の私はこの雑誌の熱心な読者であり、中三から高一にかけては一年間ほど定期購読までしていた。読者の投稿欄みたいなコーナーがあったので、それに応募しようと考えて途中まで文章を書いたことすら何度もあった。あの時文章を書き終えて、うっかり掲載されていたら…と考えると何とも恐ろしい(十代の読者による投稿は非常に稀で、当時の自分はこれならかなり掲載されやすそうだぞ、などど考えていた)。

 『正論』などを通じて私の中に右派思想が蓄積されていくにつれて、世の中の様々な(主に政治に関わる)出来事をうまく理解するための回路が形成されていった。何か新しいニュースが飛び込んできたら、その情報をこの回路に流し込む。そうすると、そのニュースに対して下すべき判断が出力されてくる。こうした判断を下す際の基準とは、「日本の国益に資するか否か」という非常にシンプルなものだ。「反日的かそうでないか」と言い換えてもいい。こういう判断を続けているうちに、しまいにはこの回路を適切に作動させることができるようなニュースを、自ら進んで収集するようになっていく。

 こういう回路が安定的に作動するというのは、端的に言って非常に心地が良い。しかも、こうした回路から出力されてくる判断には、日本の国益に資するという大義名分まで伴っている。回路の安定的作動による快だけでなく、天下国家のことを憂いているという「やってる感」を得ることもできるのだ。もちろん実態としては、大局的な視点や大きな構造を考慮することなく、ある事象にすでに自分の持っている構図を当てはめて、満足したり吹き上がったりしているだけなのであるが。

 以上のことを、より当時の自分の主観に即して述べてみるならば、心の中に貸借対照表みたいなものがあって、毎日そのプラスマイナスに一喜一憂する状況、とでも言えるだろうか。すなわち、国益のことを考えている「ふつうの日本人」の皆さんによる正しい言動があればもちろんそれはプラスであり、反対に敵方の反日的な左翼・リベラル連中がのさばるようなことがあれば、それはマイナスである。そしてもちろんそうした不逞の輩の言動は非難しなければならないし、そうした非難により敵方にマイナスが生じれば当然それは「ふつうの日本人」にとってプラスとなる。こういった具合である。

 こうした時々刻々とプラスにマイナスにとポイントが増減しているような状況は、シリアスなものであると同時にハラハラドキドキさせるものである。そうすると、急に自分の人生が生き生きしてくる。とりわけ、私が『正論』を愛読していた時期は民主党政権の時期と重なっていたため、そうしたハラハラやドキドキもひとしおだった。弱いときほど阪神ファンが生き生きしているのと同じようなものだろう。

 少し話を脇道に逸らして余計なことを書いておくと、中学から高校にかけての私のようなネトウヨっぽい人のうちの大半は、リベラルとか左翼のことをあまり知らないはずだ。少なくとも当時の私は全然わかっていなかった。当然だがリベラルと左翼は違う。だいたいリベラルという語もなかなか厄介で、これは欧米と違って日本独自の使われ方がされているという割と有名な話があるが、実はそうでもなくて…というような話もあり、とにかく一筋縄ではいかない。左翼にしても、当然様々な立場がある。Twitterとかで左翼の批判をしている発言を目にすると、例えば共産党と中核派の違いとかすら全然知らないのではないだろうか…などとおもわされることが少なくない。

(余計な話を続けると、以前こんなことがあった。喫茶店で友達としゃべっていた時、隣に杉田水脈のことを褒めている人がいたので、しばらくの間その話に耳を傾けていた。話を聞いているとその人は普段から選挙で右派の候補者の活動を手伝ったりしているらしい。かなり政治に対する意識が高いのだろう。しかししばらくすると、以前街中で聞いた共産党の演説の話になり、「共産党のくせに民主主義を守れとか言っててどの口が言っているのかとおもった」というような趣旨の発言があってとても驚いた。こういう発言が出てくるということは、この人は共産党の二段階革命論のことを知らないのだろう。実際に選挙活動に関わるような人でもこんなものなのかとおもわされる出来事だった。)

 話を戻す。とにかく当時の私は生き生きしていた。これなら学校生活がどんなにクソでもやっていけるだろう。しかし、物事はそう簡単には進まない。幸福な時間は長くは続かないものだ。次第に私は、『正論』に満足できなくなっていく。すでに自分の中で確立された回路の作動を、いろんな事例を通じて手を変え品を変え確認し続けるという単調な反復…。『正論』の定期購読をやめてしまったのは、確か高一の秋ごろだった。とはいえ、ここから私がすぐに左傾化したとかいうわけではない。むしろより自覚的に、自らを保守主義者であると自認するようになっていく。次回ではそのきっかけとなった、中川八洋という人物について少し書いてみたい。

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