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【雑記】腕時計の本当の価値

 ヒカキンが1900万円の腕時計を買う動画を見た。

 装飾品にまったく興味がないので、1900万円の腕時計を見ても「なんかキレイですね」ぐらいで欲しいとは思わないのだが(もちろん、くれるならもらう)、この時ひとつの疑問が浮かんだ。

 なぜ1900万円の腕時計があるんだろうか?

 腕時計なんて1900万円だろうが1万円だろうが、「時間がわかる」機能があれば十分で、高級になればなるほど性能がよくなるということはない。にもかかわらず、1900万円の腕時計が売っていて、それを買う人がいるのは何故なのだろう。

「機能」ではなく「意味」をやり取りする

 結論から言えば、1900万円の腕時計を買うことには機能以外の価値があるのだ。それは「1900万円の腕時計を買える人」という価値である。

 顕示的消費という言葉があるらしい。

顕示的消費
けんじてきしょうひ


必要性や実用的な価値だけでなく、それによって得られる周囲からの羨望(せんぼう)のまなざしを意識して行う消費行動。
コトバンクより

 ブランドものの装飾品など、機能以上の価格で売られるものはこの顕示的消費にあたるだろう。
 高価なブランド品は、うらやましがられるだけでなく、「高いものを身につけられる懐に余裕のある人」として他人に思わせる効果がある。つまり金銭的な「信用度」を上げる装備品なわけだ。
 「信用という見えないものを見える形にする」それが1900万円の腕時計の本当の価値なのではないか
 
 1900万円の腕時計の売買でやり取りされているのは、「時計」自体ではなく高級品を持つことの「意味」なのではないか、というのが1900万円の腕時計に対する疑問へのわたしの回答である。

「文化」とは「意味」をやり取りすること

 「機能」の反対は「文化」で、文化とは「ムダに価値を見出すこと」だと思っていた
 だが、もっとつきつめれば「文化」とは「機能以外の意味に価値を見出すこと」で、しかも「その価値自体をやり取りする」という高度なコミュニケーションなのではないか
 そう考えれば、貨幣なんて意味をやり取り最たるものなのか。機能と価値は別なんだから、石でも紙でもなんでもいい。ようはみんなが価値を見いだしてやり取りできればいいんだから。

 一見ムダに見えるもの、効率が良くないことも「機能」の外にある「意味」をやり取りしているのかもしれない。

 最後にもう一度書いておくが、わたしには1900万円の腕時計の本当の価値はわからない。わからないが、くれるならもらう。それぐらいの価値はあるだろうから。

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