見出し画像

【雑記】それぐらい自分でやってよ…ってこと?

もう、これが燃えてしまうんだな。

Twitterにあげられたエッセイマンガが炎上している。
内容は、優先座席に座った妊婦が、見ず知らずのおじさんに突然怒鳴りつけられて怖かったと夫に話したら、取り合ってもらえなくて悲しかった、というものだ。

これを読んだ正直な感想は、「そうなんだ、でもそうゆうこと(突然のいちゃもん)ってあるよねー」であって、別に不快も何もないのだが、この内容で恐ろしいほどに燃え上がっている。引用リツイート2000件超えである。

おそらく多くの人が引っかかる「フック」になったのは、妊婦の「たった一言「つらいね、こわかったね」と言って欲しかっただけ」の部分だろう。このマンガの最も言いたかった「共感して欲しかっただけなのに」という部分が逆鱗に触れてしまったのだ。

なぜか。

狂人の小山氏などの言によれば、最近の若者は男女平等指向が強くなっているそうだ。ただし、この男女平等は今までの「女性にやさしく(配慮)しよう」ではなく「男も女も同じなんだから同様に扱われないと不公平だ」という公平性に重きを置いている。

トラブルがあって女性が心を乱したとき、男性が女性の感情をケア(共感)してあげるのが一般的だろう。(これは男性が寛容とか包容力があるとかではなく、そうしないとモテないからだ。逆に、女性は男性の感情を気にする必要はない。なぜなら気に入らなければ男を変えればいいだけだからだ)

この片務的な関係性が、現在では「不公平」だと思われているのではないか。

引用リツイートを見ていると「男は共感されないのに、どうして女が共感されると思うんだ?」などが目につく。これは、男女の不公平な扱いに怒っているのだと思う。おそらく、かなりの数の男性が女性からの一方的なケアの要求にうんざりしている状況があるのだろう。
不快な目にあっても、男性たちは自分の感情を自分でケアしているのだから、女性も自分でやってくれないと不公平だと見られているのだ。


「ただ、共感して欲しかった」

それは、今までは女性のささやかな要求で済んだのかもしれない。
だが、返ってくるのは望んだ言葉ではない。

「それぐらいのこと、自分でやってよ」


女性にとっては未知の世界かもしれないが、男性にとっては見慣れた世界。
それが、男女平等が進んだ世界になるのだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?