見出し画像

容姿についてのマインド

初めてのnote投稿なので、過去にTwitterに投稿した文章を。

今までお洒落とか可愛いものとかに興味はあったし、可愛くなりたいという漠然とした感情はあった。しかしあまり自分の容姿に関心が無く、「可愛い服」「可愛いコスメ」は好きでも、その「可愛い服」「可愛いコスメ」を使って「自分自身が可愛くなりたい」という気持ちは希薄だった。自分はただ服そのものやコスメそのものに関心があったんだということに気付いた。例えば私が歳相応、流行り相応に「Diorのアイシャドウが欲しいな」と考えたとする。世間一般的には、「Diorのアイシャドウを欲している=デパコスに大金をはたいてまで美容に気を使っている、可愛くなりたいと思っている」という認識になると思う。しかし私には「Diorのアイシャドウ」で自分自身の容姿をグレードアップさせようという意図は無くて、GODIVAのチョコを買う、とか、高い万年筆を買う、とかと同じ感覚で欲しがっていたようだ。別に100円の板チョコでも美味しいのに、別に1000円の万年筆でも字は書けるのに、そこにこだわって大枚をはたくことで発生する無駄とその無駄が織り成す美しさを楽しみたくて、Diorのアイシャドウが欲しかったんだなと。(これは例えとしてなので、実際には多少異なるが)最近、急に自分の容姿について漠然とした意識でなくて明確なモノとして悩み始めた。大学1年生にしてやっと。でもまあ昔から自分は可愛くないという自覚はあったし、可愛くなりたい漠然とした想いはあった。しかしあまりに漠然としすぎていて全体像が見えていなくて、顔のパーツのどこがブスなのかとか、そのために具体的に何をすれば良いのかとか(=ダイエット、メイクの練習、髪の毛、パーソナルカラーを考えた服を着る、など?)を考えたことがなかった。どうやら父と母の育て方が良くて、私はとても自己肯定感が高い人間に育ったらしい、冷静に考えて「私は可愛くない」という自覚ももちろんあったけれど、「しーちゃんが世界一可愛いよ」って言われながら育てられた18年間には勝てないんだと思う。その面では父と母に感謝しかないです。泥臭く生きたいね。前置きがとても長くなってしまったけど、最近急に自分の容姿について意識し始めました、という話。メイクとかダイエットとか自分磨きを日々頑張っている子にとっては「自分の容姿に興味関心が無いってどういうこと?」と感じると思うのだけど、多分3パターンあって ①そもそも可愛いもの(コスメやお洋服)に関心がないため自分自身も着飾って可愛くなろうと思えない。パターンと②可愛いものにめちゃくちゃ興味があるのに、己自身を磨こうとせずに神様視点でコスメやお洋服を見ていて、それらを可愛い収集物としか捉えていなくて、自分自身可愛くなろうとは思いつかない。パターンと(私です) ③幼少期少しでもメイクなんかしようもんなら親や周りの人に「もー!色気づいちゃって!あんたには100年早いわよ!」などと言われて育って、自己肯定感低めの人格を形成した故に「私なんかがオシャレなんて、、メイクなんて、、」という卑屈マインドになってしまった。パターンかなと思う。まあスーパー個人の見解ですが。とりあえずなにがトリガーなのかはよく分からないけれど、唐突に自分はなんてブスなんだ!!!!!!可愛くなりたいな!!!!!!と思っています。このやる気を削がないようにゆっくり育て上げつつ、頑張って可愛くなろうと思う。まずは半年の一人暮らしで形成された、荒れ狂った食生活の改善から…これだけで荒れた肌と体型は多少良くなるはず…

何気なくツイートした文章なので日本語としておかしな所があるかもしれませんが、備忘録として。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?