黒歴史日記帳

最近言語化能力の低下が著しく、言いたいことがあっても上手く言葉にできず、モヤモヤしたまま心に閉じ込め、そのまま忘れてしまうことが多い。寝たらすぐ忘れ、元気になるのは私の長所だけれど、せっかく頭に浮かんだ思考が消えてしまうのは些か勿体ないので、言語化のリハビリがてらnoteを書こうと思う。

言いたいこと、書きたいことは山ほどあるはずだけれど、いざ改まって文を書こうとすると、思考が絡まってしまって何も書けない。小中学生の時は溢れる思考のエネルギー、喜怒哀楽、モヤモヤした気持ちを全て日記帳に落とし込めていたのに、日記を書かなくなったのはいつからだろう。今の私はSNSに書いては消して、書いては消して、たまに証拠として残る。自分の言葉で傷つけて、人の言葉で傷つけられて。

小学生の時、アンネ・フランクの伝記に影響され、マリーと名付けた日記を始めた。アンネの日記が「キティ」だったので、それっぽい洋風な名前にしたんだと思う。アンネの日記になぞらえて、語りかけるような口調で書き連ねていった。誰にも見られないし、見せることも無いのだから、自分の素直な気持ちを、思ったありのままを書いてよかった。にも関わらず、今見返すと日記に書かれていることは事実と大きく異なることが多い。(もしかしたら、記憶が違っている部分もあるかもしれないけれど。)

多くのページが、実際に起きた出来事の4割増しで書かれている。良かったことが4割増しなのはまだ良いが、悪かったことも4割増しで書かれているので、基本的に登場人物はほとんど敵として表現されている。「学校でこんな嫌なこと(被害妄想)があった」「○○にあんなこと(実際に言われたことを誇張)を言われて悲しい」等、繊細で傷つきやすいのは自分だけだと思っていた私の認知のゆがみを突き付けられるようで、見返すとかなり心をえぐられる。羞恥心よりも、登場人物への申し訳なさが圧勝する。
当時の同級生や先生など、日記でボロクソ書いてしまった被害者の会の皆さんには、いつかおでこがなくなるまで全力で謝罪したいと思う。

今では、日記を黒歴史(笑)として一部をSNSに載せたり、飲み会でネタにしたり、面白コンテンツとして消化できている。目も当てられないようなセンチメンタルポエムも、書きかけの恋愛小説も。好きな人への熱い想いも、振られた事実が嫌で、勝手に事実を湾曲したエピソードも。私が100%悪いケンカの愚痴も、世間に向けた売り言葉も。どのページも自意識過剰で、どうでもいいことにああだこうだと悩んでいる。褒め言葉も嫌味に解釈したり、勝手に親や先生の期待を背負って苦しくなったり。傷つくのが嫌で人を傷つけてばかりで、身近な人の優しさに気付けなくて、今思うと情けない人間だなと思う。

未だに薄目でないと読めないページもある。払拭されていないトラウマもある。しかし筆圧の濃い丸文字は、毎日を必死に、どうにか生きている10代の私そのものである。

そして思う。10年後の飲み会で、21歳の私が何回も擦って笑いに変えているから大丈夫だよ。大好きな友達と先輩が、ポエマーだって笑い飛ばしてくれるから大丈夫だよ。

だから大丈夫、大丈夫。(だと信じている、信じたい)

現実に目を向けて、問題に正面から向き合うのが怖かった幼い私。
そんな弱さは10年前から変わらず、今の私もまだ弱い。

どのくらい弱いかというと、ここまで書いたこの文章を、発狂しながら全部Ctrl Xしようとし、やっぱり文章なんて書くの辞めようとパソコンを閉じては、また開けて、また閉じてを繰り返すくらい。新たな黒歴史を生み出したくない、人に笑われたくない、バカにされたくない。

でもきっとそれも大丈夫だろうと今なら思う。10年後、31歳の私は、このnoteを晒すことを飲み会の定番ネタにしているだろうから。ママ友同士のお茶会で、悪口以外の話の種を提供できる人は重宝されるから。

だから大丈夫、大丈夫。(だと信じている、信じたい)


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