見出し画像

僕の帰る場所

長いゴールデンウィークが終わり、身体中の錆びついたギアがぎしぎしと音を立てて動き出す心地よさを感じるそんな朝。
僕は京都に帰ってきた。

両親が船旅に出掛けている間、ネコの世話をするという目的のための帰省。仕事のない1週間。僕は人生初のゴールデンなウィークを満喫することに決めた。会いたい人に会おうと。

初日。深夜バスで早朝に東京に着いた。夕方からの予定に合わせて、とるものもとりあえず実家に向かう。ガチャリ、ガチャリと慣れぬダブルロックの扉を開けて、出迎えてくれたネコに挨拶。ゴハンをあげて、トイレを綺麗にして、というシンプルなペットシッター業務を果たす。

久々に手に入れた真っ白な時間。
まさに自由だ。なんでも選択できることを本来の"自由"というのだと改めて思う。誰にも縛られない、自分の判断で選択肢を無限に広げられる。本当は誰のそばにも自由はあって、見えない誰かのせいでそこに制限をかけているひとが多すぎる気がする。ベランダで一服しながら広い青空を見ていると、無限の可能性を感じると同時に日本社会に対する一抹の寂しさを覚えた。

自由だからこそ生まれる覚悟。
それを履き違えてはいけない。

"ネコと昼寝"だっていいじゃないか。
そんな自分を正当化するために導き出した結論で、僕は滑り込むようにベッドに潜った。至福。

そんなゆるりとしたスタートを切った僕は、平成最後の夜を、恩師である藤里一郎先生の写真展会場で朝まで写真仲間たちと飲み明かし、令和元年を半ばグロッキーなテンションで迎えた。

その後も、オーストラリアに1年滞在してハッピーボーイならぬ、スーパーハッピーボーイへと進化した親友との再会を果たし、これでもかというほどのポジティブなパワーをもらったり、もうひとりの親友とは新宿ゴールデン街を中心に8時間近くを"人間とは"について語り合った。

僕もいつの間に親友が増えたものだ。

"友達がいない"と豪語していた2年前。某小説の影響で、"友達なんていたら人間強度が下がるだけだ"と本気で思っていた。結果として、強くなっているのかは皆目検討もつかないが、守るべきものや大切なひとが増えた分だけ骨太な人生になった気がする。

そして、この長いようで短かった東京滞在で、藤里一郎先生と過ごした大切な時間は、また僕を少しだけ成長させてくれた。
僕という存在と真摯に向き合ってくれる大切な師。僕の人生をいくら振り返ってみても、誰かに何かを教わるということをしたことがなかった。僕にとって人生初めての師は、僕に写真を通じて生き方を教えてくれる。
会うたびにキヅキを与えてくれる存在がいること。それが、いまの僕の誇りだ。

そして、毎度。
東京滞在最終日の夜に必ず会う約束をする今回の記事3人目の親友。この夜、さらりと言われた言葉を僕は忘れない。
毎回の東京滞在。贅沢な程に得るものが多く、なんて僕はラッキーなんだろうという話をしたときのこと。

「それは"笠置に何かを持ち帰りたい"という想いがあるから。"帰る場所"を自分で作ったからだと思う」

気付けば笠置のことを考えている自分がいる。それに気付かせてくれた言葉。いまの自分を思ってくれているひとたちの大切な想い。受け入れる事の大切さ。愛情の感度は下がっていないだろうか。向けられた"愛"に応えられない程にさみしいことはないと思う。愛に気付いたからこそ、僕は自分らしく素直に生きられる。

僕には帰る場所がある。
それを感じるかはきっと自分次第。

シバタタツヤ

活動の応援をお願いします!サポートしていただいた費用は未来に写真を残すために、写真集や展示などの費用として使わせていただきます。