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”身体性を伴う情報化と世の中のスナップショットをとる感覚、どちらも併せ持つことがこれからを生き抜く知恵かもしれない”っておはなし

梅雨もそろそろ終盤というこの時期、7月に入ると祇園祭がはじまります。

京都は宵山、山鉾巡行の日付あたりが梅雨明けということが多く、街に祇園囃子が響き始めると「夏がそこまでやってきているなぁ」と感じます。夏の風物詩ですね。

ボク自身としては夏はそんなに好みではなく、冬の方が性に合っています。好きな時期は秋から冬への移り変わりの頃、赤や黄に色づいた木々がどんどん色が無くなってモノクロになっていく様子、少しずつ気温が下がって寒くなっていく感じが好きです。

昔は夏が嫌いでした。冬の寒さを耐え凌ぐことはできても暑さはそれが難しいっていうのが理由で、どんなに軽装にしても暑さは無くならない。理由になっているのかどうかわからないような理由です。そんなこと言ったら冬だってどんなに着込んでも耐えられない寒さだってあるわけですから。

でも子育てをするようになって夏のことを”そんなに好きではない”くらいの気持ちに思えるようになりました。子どもたちが夏を楽しんでいたり、はしゃいでいる様子を見ていると「夏もそんなに悪いものではないなぁ」と思ったりできるものです。子育てで得ることのできた良かったことの一つ。

ボクは冬は雪山に足繁く通っています。冬の間、うちの4兄妹を引き連れて度々雪山を滑りに出かけます。春夏秋は海や山や湖にキャンプに出かけたりはしますが頻度は低め。キャンプ道具を揃えるのは楽しいけれど、雪山遊びほど夢中になれない。丘キャンパーですね。

でも最近の子どもはどうしたって室内のエンタメが充実した世界に生きているので、季節関わらず休みの日くらいは外に連れ出して何かの体験や経験をさせてあげたいなと思っています。ゲームやiPhoneといった画面を通した何か別の世界へのアクセスはそりゃ楽しいだろうけれど、自然からの情報摂取も大事にしたい。画面から平面的に情報を得る、タイムラインに流れるとめどない情報に触れるだけではない、その時にしか得られない、自然や外の世界についての記憶とか経験を積んでほしい。ボクが子育てで大事にしていることってたぶんこれくらいです。とてもシンプルなことだけど難しいことなんですけど。

そんなことを考えていたとき、養老孟司さんのこの記事のことを思い出しました。もし読んだことがない方がおられたら、ぜひみなさん一度読んでみてください。

僕の言う「情報化」は、五感から入ってきたものを情報に変えて人に伝える、ということです。

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この記事を読み直したとき、ボクは情報処理と情報化をきちんと分けて考えられていなかったんだ…と気付きました。情報化と情報処理は当然違う行動で、情報化と情報処理は補完関係にある。更にボクに気付きを与えてくれたあるエピソードがあります。

うちの三姉妹たちがある日、SNSを情報源に週末に連れて行って欲しいところリストを送りつけてきました。

いくつかはどこのことを言っているかわからない…

彼女たちは無尽蔵にあるSNSのスポット情報を彼女たちなりに整理し、自分たちで経験にしたいとメッセージしてきたわけです。実際にその週末に生駒山上遊園地に三姉妹を連れて行きました。正直なところ、このリストで京都から日帰りで行ける場所は生駒しかなかったという、消去法的な選択だったわけですが、そんな事情は彼女たちには関係はなく、自分たちでピックアップしたスポットに行ける喜びからくる高いテンションで、朝から閉園時間まできっちり楽しんだことは言うまでもありません。たぶん彼女たちは生駒山上遊園地のことを学校で話しているだろうし、何とも言えない昭和レトロな独特の世界観と楽しかったあの1日について、彼女たちの言葉や表情で誰かに伝えているはず。まさに情報処理を経て情報化したということになるんじゃないかと思うんです。

前回のnoteでボクは、新聞を再び読み始めたことによって得た、”世の中のスナップショット”をとる、という感覚について書きました。ここでいう”世の中のスナップショット”とは、世の中の出来事や事象を”自分の感覚”で俯瞰的に捉えて、ある時間軸で明確に記憶することを指しています。それを踏まえると、今回の件はこんなふうに言えるのではないのでしょうか。

「彼女たちなりの”世の中のスナップショット”をとる = "世の中の出来事や事象を”自分の感覚”で俯瞰的に捉えてある時間軸で明確に記憶するために情報を摂取し整理する"」と「”身体性を伴った情報化” = "五感から入ってきたものを情報に変えて人に伝える"」、つまり情報処理と情報化の連鎖が起きている。

そして情報化された経験や体験は、また彼女たち自身の内なる情報となり、それらが整理され、また次の情報化へ繋がっていく。画面が良いとか悪いとか、デジタルなのかアナログなのかとか、そういう議論も大事だけれど、子どもたちに情報処理と情報化の連鎖をつくりだすようなキッカケを生むことこそに意味があるんじゃないだろうかと思ったわけです。

それは大人であるボクたちにとっても同じで、画面だけでリサーチをするのではなくて必ず現地に行くとか、毎回でなくても良いけれど直接顔を合わせて打ち合わせをするとか、技術の進歩によって変化していくことはあるかもしれないけれど、自分自身で情報処理と情報化の連鎖をつくりだしていくことが、これからの世の中を生き抜く知恵なのかもしれないと思いました。

とても当たり前のことを言っているだけなのですが、ボク自身いろんな行動を変化させながら、情報化と情報処理の連鎖を意識しています。今まで通りの画面中心の生活を送りながら、新聞を読んだり、アナログレコードで音楽を聴いたり、手書きでメモをとったり、とても些細なことではあるけれど、その連鎖をつくりだしている、そのキッカケを生みはじめているような気がしています。

Photo : Yukina Yokoi

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