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日本人のアイデンティティを形成するための読書

こちらの本で2020/4/8(水)22時より読書会を行いますので、備忘録として書きました。

(引用はじめ)

「前近代的なアイデンティティ」の対象には読書が有効

最後に、日本でありがちなケースとして「前近代的なアイデンティティーの分断」を自明のものとして受け入れてしまうパターンにも触れておきたい。

前近代的なアイデンティティとは、地縁・血縁・身分などの自然発生的な基礎環境によって付与されるものを指す。このようなアイデンティティが絶対的な前提とされる場合、自らのアイデンティティを覆い尽くされないためには何が必要だろうか。

それは「読書」である。

相対的に未開な環境で育ってしまった場合、人間は自らの頭で思考する能力がうばわれてしまいがちだ。しかし、それほどに思考力が存在していないのではなく、単純に知識不足によって物事を考える視座が不足しているだけのことだ。

したがって、前近代的なアイデンティティの分断から抜け出るために必要なのは情報のシャワーを浴びることである。

書物は先人の知恵の塊であり、読書によって多様な視点や考え方を見つけることで、前近代的な思考から抜け出すために、自分が何をすべきか悟るだろう。(P.202)

(引用おわり)


日本人のアイデンティティの形成のためには、どんな読書が求められるか?

戦後の日本人のアイデンティティとは、日本国憲法のことである。

戦後の日本人は、日本国憲法に盛り込まれている価値観、つまりは、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を、ひたすらに日本国憲法を精読して、頭に叩き込むことで日本人のアイデンティティを形成してきた。

私も、義務教育で、しっかり学んできた。大学の法学部でも学ぶのであろう。

しかし、2000年代から「戦後レジームの脱却」という言葉で、憲法改正の必要性が、安倍政権を支える自民党保守派から訴えられて、現在に至る。

要するに、現在の日本国憲法は、マッカーサーの押し付け憲法だということだ。安倍政権の悲願である「憲法改正」は、現行憲法に基づいた戦後日本のアイデンティティを大きく転換するものだ。

55年体制の日本においては、保守派は、改憲派であり、革新派は、護憲派であった。

しかし、冷戦が終わり、日本の55年体制も崩れた。自民党と社会党の保守と革新の対立が、崩れたということだ。

しかし、もう一つ重要なことがある。

自民党も、自民党本流(岸信介元首相など改憲派=国家社会主義的傾向の大きな政府の流れ)と、保守本流(吉田茂、石橋湛山元首相など戦前からの自由民権運動〜大正デモクラシーの歴史に連なる19世紀的自由主義者の流れ)に分かれる、と地元の政治家である田中秀征氏が述べていた。

参考動画

https://youtu.be/_2LzB7RDsC8

戦前からの自由主義の流れがあり、そこから日本人のアイデンティティを形成しようとする取り組みもあったのである。

しかし、自由民権運動〜大正デモクラシーの流れが、現在では途絶えてしまっている。19世紀の古典的自由主義の敗北が、二度の大戦の間にあった。

なぜ、現行憲法に満足できない人たちがいるのか。

おそらく、ポツダム宣言受諾によって、外部注入されたアイデンティティであるという意識がある。それが、日本国憲法をアイデンティティとして、受け入れられないというのが大きな理由だと思う。

日本精神の床の間に、GHQによって書かれた掛け軸が飾られているような気がするので、反発を覚えるのだ。

そういう感情が日本人の保守層にはずっとある。

(引用はじめ)


筆者が、友人のティーパーティー運動の指導者に「デモ活動していないときは何をしているのか」と質問をしたことがある。すると彼らの回答は、「憲法を読み上げる読書会をしています」というものであった。

米国の建国理念を体現する象徴は合衆国憲法である。特に保守派にとって、合衆国憲法の修正条項(権利の章典)に列挙されている国民が持つ自由に関する内容は、非常に重要なものだ。

そこには言論の自由、信教の自由、財産権の保障、そして武装する権利まで、幅広い内容が明記されている。彼らは米国建国時から紡がれてきた理念のすべてが合衆国憲法に文言どおりにも盛り込まれてると信じており、その拡大解釈によって政府介入を増加させようとするリベラルの主張には拒絶の意思を示している。(P.74)

(引用おわり)


日本国憲法の10条から40条にも、言論の自由、信教の自由、財産権の保障などの諸権利が盛り込まれている。


しかしどうやら、日本人は、これらの権利を日本人のアイデンティティとは、みなしていない。


だから、日本国憲法で読書会しても、盛り上がらないのが想像できる。


どっちかといえば、第一条の

〔天皇の地位と主権在民〕
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


が「国民の総意」という日本人のアイデンティティを定義しているのではないかと、私は思う。

こちらの方が、床の間に飾られているものの本質に近いものなっている。

そうなると、日本の一部保守派の実践する、「古事記・日本書紀」の建国神話を読むというのが、日本人のアイデンティティを形成するための読書会になる。

そんなまさかとは思うが、論理的にはそうなってしまうのである。

実は、アメリカ人のアイデンティティも基礎の部分は、聖書にある。

ここでは詳しく述べられないが、アメリカの保守派と、キリスト教の深い関係もそこから見えてくる。

一方で、合衆国憲法を読むことが、建国理念を学ぶことであり、他方で、聖書を読むことがアメリカの建国理念だという分裂の中に、アメリカの保守派の本質があるはずだ。

「ピルグリム・ファーザーズ」の歴史こそ(それが、歴史か神話かかどうかはさておき)が独立戦争以前のアメリカにとっての建国神話のもう一方であり、アイデンティティの深い部分を占めているであろう。

私個人は、日本人のアイデンティティは、日本国憲法を読みながらも、同時に、古事記・日本書紀にはじまる日本の古典を同時に読む中で培われると思う。(「記紀神話」に「源氏物語」を付け加えてもいいかもしれない。)

これは、日本人のジレンマだが、このジレンマを引き受けていかなければ、戦後の国際社会で受け入れてもらえない。

このジレンマは、現代日本政治を分析する上での原理原則だと思う。


(おわり)


お志有難うございます。