『愛と青春の旅立ち』とは「そういうものだ」
タイトルは有名で知っているのだが、見ていない映画というのは、たくさんあるものだ。そう言うものだ。その中の一つである『愛と青春の旅立ち』を、何回かに分けて観た。
『愛と青春の旅だち』
センスのまるでない、大げさなタイトルである。
原題は”An Officer and a Gentleman”である。全然違う。
主演はリチャード・ギアである。この俳優を、インディ・ジョーンズであるということ以外知らない上に、インディ・ジョーンズも一本も観ていない。
ウィキペディアを見ていたら、リチャード・ギアは、インディ・ジョーンズに出ていない。インディ・ジョーンズはハリソン・フォードだった。
リチャード・ギアは、『プリティ・ウーマン』にも出てた気がする。『プリティウーマン』も観ていないが、録画してあるので、後で観る。
ハリソン・フォードは、『プリティ・ウーマン』に出るような俳優ではない。アクションスターだ。リチャード・ギアは、アクションスターではない。
二人とも、顔は似ているし、雰囲気も似ている。
フィリピンで生まれた主人公のリチャード・ギア。海軍勤務で海外の基地を転々としていた父は、自堕落な生活で母を自殺させてしまった。今は、フィリピン人の娼婦と暮らしている。子育ては完全に放棄している、ネグレクト親父である。
このどうしようもない境遇から脱出するため、航空士官学校に入学するが、そこにルイス・ゴゼット・ジュニア演じる鬼軍曹がいて、しごきまくられるのである。
このしごきが、すごかった。人格破壊である。
ルイス・ゴゼット・ジュニアは、新日本プロレスの道場に鎮座する山本小鉄のような鬼軍曹である。
そういえば最近、2013年に放送していた劇的リフォーム・ビフォア・アフターの新日本プロレスの寮の改築を、再放送していたので見たが、獣神サンダーライガーが、寮の鬼軍曹として暮らしていた。
ライガーさんは、単身赴任しながら、寮に一室構え、趣味の怪獣作りに勤しんでいた。石膏でゴジラなどの怪獣を作るのである。元中日の山本昌投手のラジコンと同じような趣味である。長く現役で働くスポーツ選手は、特異な趣味でもって息抜きして、肉体と精神を酷使する遠征の日々を耐えているのである。
軍隊やプロレス道場では、しごきは必要だと思う。もちろん、普通の会社ではダメである。
軍人やプロレスラーは、特殊な業界に身を置くという覚悟を、若手のうちに徹底的に試さないと、大けがや事故につながるから、しごかざるを得ないのだ。
軍人は国家に奉仕しているのだから、なおさらである。
リチャード・ギアは、つまんないプライドを、ズタズタにされていた。
私は、ルイス・ゴゼット・ジュニア演じる鬼軍曹が、偉いなあと思って、感心してしまった。若い頃見たら、にっくき教官だと思い、嫌悪しただろうが、ああいう人が、特殊な業界には、必要なのである。
鬼軍曹は、士官学校の生徒に、本当は愛があるんだもんね、というツンデレムーヴで、しごいているわけではない。
国家とはそういうものだ。
そういうことを身をもって教えている。
ライガーさんも、山本昌さんも、「そういうものだ」の人なのである。
新日は、「そういうものだ」
中日ドラゴンズは、「そういうものだ」
この「そういうものだ」こそが、
下積みに明け暮れる冴えない青春時代に学ぶべきものなのだろう。
星野仙一監督に殴られたり、セコンドで長州力に蹴られたり、
そういう理不尽に耐えられる覚悟の修養の果てに見えるのが
「そういうものだ」
である。
これを経なければ、特殊な業界でのプロにはなれないのである。
鬼軍曹に、「何故ここにいるのか」としごかれながら、何度も問われ、
彼らは、「ここ(新日or中日)しかいる場所がないからだ」
と叫んできたのだろう。
しかし、そんな彼でも、卒業して、士官になるとすぐさま少尉なのでエリートなのである。
だから、士官学校の生徒は、街の若い女の子たちの憧れの的である。
そんな中、リチャード・ギアは、Barでデブラ・ウィンガー演じる製紙工場に勤める女性賃労働者と出会う。
デブラ・ウィンガーは、最近観た『愛と追憶の日々』で知った。
デブラ・ウインガーが出演していると『愛となんとかのなんとか』という臭い題名になるのだろうか。80年代丸出しなセンスの邦題である。
濃厚なラブシーンがあり、デブラ・ウィンガーの肢体が拝める。
コケットリーで、リチャードギアを誘惑するのである。
しかし、作品全体の主調低音は、若者に行くところがない。
という残酷な事実である。
リチャード・ギアは、士官学校で、落ちこぼれれば、戻る場所がない。ネグレクトダメ親父の二の舞になるしかない。
リチャード・ギアを誘惑したデブラ・ウィンガーも、田舎の工場勤務の見通しのない生活から抜け出すには、何としても士官学校の生徒を捕まえなければならないのである。
そうはいっても、士官学校の生徒の方が立場が強いので、遊びたい邦題である。遊びたい放題の、士官学校の生徒が、紆余曲折あって、士官になることの覚悟を決め、そして、それから紳士になるので、
原題は”An Officer and a Gentleman”なのである。
(ほんとは軍規に由来するらしい こちらを参照)
リチャード・ギアの親友の一人が、ガールフレンドを妊娠させてしまい、そのせいか、高度7000メートルを想定した飛行訓練で、気を失い、落第してしまう。
彼は、士官学校をやめて、妊娠させてしまったガールフレンドと、地元のオクラホマのデパートに職を得て、新婚を始めようと、トチ狂って、一方的にエンゲージリングを買って、告白するのだが、妊娠は気をひくための嘘であり、ガールフレンドは、士官学校やめた彼と結婚する気もなく、フラれる。
ショックを受けた彼は、行方不明に。
リチャード・ギアとデブラ・ウインガーが変わり果てた、親友の姿を発見。モーテルで、自殺していた。
リチャード・ギアは、デブラ・ウィンガーも、士官学校の生徒である自分が好きなのであって、本当の自分のことは好きなのではないかと、疑念を抱く。これは本当の愛なのだろうか? 打算と遊びではないのか?
デブラ・ウインガーと別れ、恋愛に挫折し、遊び放題になってしまったら、親父と一緒である。親父のように遊ぶだけ遊んで、ポイするだけの人生なのか? 母親の自殺も、それが原因だというのに。
破れかぶれになったリチャードギアは、なぜか鬼軍曹と、タイマンで倉庫で殴り合う。
善戦も虚しく、最後に、鬼軍曹の渾身の金的攻撃をくらい悶絶して、負ける。
(この意味のわからないカンフー対決シーンはいらないと思った。)
しかし、鬼軍曹は、彼を退学させずに、卒業する気があれば残るように言い残す。リチャード・ギアは、鬼軍曹の温情で、なんとか卒業する。
卒業式の後、鬼軍曹と握手を交わすのだが、卒業すれば、士官学校の生徒は、鬼軍曹より階級が上なのである。
「あなたには色々教わった」とか、謝辞を述べるリチャードギアだが、鬼軍曹は「さっさと行け」と吐き捨てる。
その後、製紙工場にハーレーで乗り付けて、ラインでふてくされて働いているデブラ・ウィンガーを抱き上げてチュウ、ぶちゅう😚
鬼軍曹が、獣神サンダーライガーのマスクをして、石膏で怪獣をつくるシーンで終わり(ウソ)
この作品を観て何を思ったか?
アメリカの田舎の生活は絶望的である。
コネのない若者に希望がまるでない。
士官学校を出て、少尉になれば、御の字である。
女の子は、ブロンドで若い頃は可愛いが、どんどん、すさんでいく様子が、生々しい。
アメリカの片田舎の『高慢と偏見』みたいな話であった。
今の世間も大して変わっていなくて、世界中のいたるところに、色々な形で、こういう田舎娘と、士官学校の生徒のマッチング的な出会いと別れはあるだろうが、ストーリーの肝は、そこではない。
ちがうちがうそうじゃない。
この映画の核心は、石膏で怪獣をつくるのが唯一の生きがいの鬼軍曹を描いていることなのである。
「そういうものだ」を描いているのである。
その証拠に、ルイス・ゴゼット・ジュニアが、本作で、アカデミー助演男優賞を受賞している。
『愛と青春の日々』には、宝塚版があるそうである。
私は、落語にしたほうがいいと思う。
ただ、鬼軍曹をしっかり演じられないと、この落語は〆らない。
古今亭志ん朝が、林家こん平に『文七元結』の稽古をつけた時、
「佐渡鎚のおかみが、この噺の肝だ」と語ったそうだが、
落語版『愛と青春の日々』の肝はいうまでもなく、鬼軍曹である。
志ん朝師匠が生きていたら、うなづいてくれると思う。
(おわり)
お志有難うございます。