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ラーゲルスプーン

(引用はじめ)

シューホフは長靴の胴からスプーンを取りだした。このスプーンは彼にとって貴重なものだった。このスプーンといっしょに彼は北方のラーゲルを点々と歩きまわったのだ。このスプーンは彼がじぶんで砂の鋳型(いがた)をつくり、アルミ線をとかして造ったもので、そこにはちゃんと《ウスチ=イジマ一九四四》と刻まれていた。

『イワン・デニーソヴィッチの一日』 ソルジェニーツィン 新潮文庫 木村浩訳 P.23

(引用おわり)

(引用はじめ)

それに看護人はスプーンの取り引きで大きな利益をあげている。新参者はラーゲルに入って来ても、スプーンを配給してもらえない。ところが流形状のスープはそれなしでは食べられない。そこで金属工及びブリキ工コマンダーの専門職囚人(へフトリング)が、休憩時間中に、ブナで、こっそりスプーンを作っている。鉄板をハンマーで叩き出して作った、ごつごつしたそまつな食器だ。柄を刃にして、パン切りナイフとして使えるものもたくさんある。これは製造者自身が新参者に直接売りつけている。普通のスプーンはパンの配給の半分、刃つきスプーンは配給の四分の三だ。

『これが人間か アウシュヴィッツは終わらない』 プリーモ・レーヴィ 朝日新聞出版者
竹山博英訳 『善悪の彼岸』 P.107


(引用おわり)

2021.8.18に長野県立歴史館で開催されていた『青少年義勇軍が見た満州 創られた大陸の夢』という企画展を見て来た。

その展示で、シベリア抑留された満蒙開拓団員のスプーンが展示されていた。重要感のあるアルミスプーンだった。

私はそのスプーンをしげしげ見ながら、上記の引用を思い出していた。

そういえば、以前、会社の先輩と東京競馬場に遊びに行った。

コースの真ん中の芝生にCoCo壱番屋の屋台が出ていて、カツカレーを買って食った。青空のもとで馬を見ながら食べるカレーは格別だった。

プロモーションなのか、無料で、CoCo壱のカレースプーンをくれたのだ。

店で出されるのと同じデザインのカレースプーンだ。先っぽが流線型のカレースプーンらしいデザインで、思い出もあって、今でも愛用している。

自分でスプーンを造って持ち歩くような過酷な世界に住んでいなくてよかった思う。

展示されていたスプーンに、過酷な収容所生活を想像したが、自分の愛用するカレースプーンへの平凡な愛着と比べてみて、なんともいえない気分になった。

とりあえず、平和でよかった、と。

(おわり)





お志有難うございます。