見出し画像

『きみが死んだあとで』 感想 その1

2021.9.25(土)晴れ、訳あって、午後から出かけて、善光寺をお参りし、新しくなった長野県立美術館と城山公園一帯を散歩して、権堂のアーケードにある映画館で、『きみが死んだあとで』というドキュメンタリー映画を観てきた。

時間を潰すためにたまたま観たので、特に期待もしていなかったのだが、いろいろ思うところあった映画だったので、帰りに、映画館で、書籍版の『きみが死んだあとで』も購入して、何回かに分けて、映画の感想なども交えながら、自分の思ったことを書いていきたい。


YouTubeに予告編がある。



佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止を掲げた1967年の学生運動、第1次羽田闘争を題材にしたドキュメンタリー。機動隊との衝突の際に命を落とした当時18歳の山崎博昭の同級生や運動に携わっていたメンバーの証言を交えながら、その死と闘争の全貌に迫る。


まず、私は1978年生まれである。団塊ジュニアと呼ばれる世代だが、両親は、団塊世代より前の生まれである。団塊世代や全共闘世代は、親にあたるくらいの世代であるが、自分の両親とその世代の人が、重なるわけではない。ちょっと違うのである。


団塊の世代=全共闘世代というのは、私からみても特有の臭いがあり、私は大学生の頃から、すごくこの世代を軽蔑していた。かといって、60年以降に生まれ、80年代に大学生だった新人類世代も、やはり嫌いである。


私の世代は、氷河期世代呼ばれている。


私が、新人類が結構嫌いなように、自分の世代も若い世代(今の30代)からバカにされ、軽蔑されているのは、痛いほど感じるので、世代体験の違いが生み出す、悪感情というのは再生産され、連鎖するものだと思う。


というわけで、世代体験があるわけで、私自身も70年代の生まれなので、2歳年下の80年生まれとは、世代体験が違うと思うし、4歳くらい上74年くらいの世代とも、肌あいとして、確実に違うのである。

その違いというのは、観てきたTV番組とか、聞いてきた音楽とか文化的なものが生み出している。


あとでいろいろわかったことなのだが、70年以降の世代は、TVや歌謡曲、ゲームアニメで同世代の意識を形成しているところがある。

一方、団塊の世代=全共闘世代や70年以前に大学生だった世代は、世代体験が違う。

映画やビートルズ、文学や哲学で同世代意識を形成している。


この世代は、哲学に関心があるのである。もちろんマルクスを中心とした哲学に関心だが、読んでいなくても関心があり、活字に憧れのある世代である。

(この映画の主人公である山崎博昭さんの遺品の本棚には、キルケゴールとか、ニーチェがあった。本棚、まじまじ観てしまった。本棚警察)


70年くらいを境にして、文化体験が違い、それによって同世代体験も全然違うのである。今は、活字への憧れなどない。私の世代もあまりない。


世代体験というのは、これが結構微妙なところで、丸山眞男も何かの座談会で話していたが、戦前においても1年に2年の学年の違いで、全く文化体験が違うらしい。それは、痛切に思う。


というわけで、前置きが長くなったが、何が言いたいかいうと、同世代の同じ空気を吸っていたという臨場感みたいなものは、絶対化されるきらいがあり、他の世代の、門外漢が、勝手に解釈すると、とんでもない反発がかえってくるということである。

とりわけ、団塊=全共闘世代の人はそれが強くて、ベビーブーマーで層が厚いので、同時代意識を形成して、目の上のたんこぶのように存在していた。20年くらい前の、私が大学生の頃は、そうだった。


私は早稲田の文学部出身だ。この映画に出ている、三田誠広さんは当時文芸専修の客員教授だった。全共闘世代の教授はたくさんいた。とりわけ、この映画に出ていた詩人の佐々木幹郎さんみたいな雰囲気の大学関係者がたくさんいた。


当時から、全共闘世代の大学関係者や文学関係者なんだかなあ、と思っていた。今は、その違和感を全部説明できるが、この映画を観て、その違和感への自分なりの答え合わせになった。


2000年半ばあたりを境に、その団塊=全共闘世代が、定年を迎え、大量に退職して、日本の世間(日本社会と書くべきだろうが、社会なんてあるのかどうかはさておき)の第一線からおおかた退きはじめた。そして、令和になって、ほぼ完全に、皆さん老後の年金生活なのである。


この映画を観て感じたのは、第一線から退いて、しがらみも少なくなったので、団塊=全共闘世の方々が、世代体験=学生運動の経験を赤裸々に語りはじめたんだな、ということある。

それぞれの立場があって、口ごもって語れなかったことがあったのだろうが、語れなかったことも、語らなければ、墓場まで持っていかなくてはいけないので、そうなるよりは、語って残しておきたいという、そういう葛藤があったように思った。

ただ、「葛藤」というのは正確な表現ではない気がする。


世代体験を美化して、武勇伝じみた自慢話や自己語りにまつわる陶酔を、慎重に切り離して、客観的にアーカイブしたいというそういう気持ちを感じた。


それが「葛藤」のように感じられるのである。


(「葛藤」するくらいなら、正直、みっともないから、墓場まで持ってけばいいのに、と、実は私は思うのだが。実際そういう人も当の全共闘世代の人もいるだろう。)

私の観た回は、客が二人しかいなかった。

その前の回は、代島監督の舞台挨拶があったから、たくさん入っていたらしい。

流石に少ないと思ったが、地方のミニシアター系ならこのくらいなのかもしれない。

私も、上映していた松竹相生座・ロキシーと映画館、地元にいて、初めて入ったかもしれない。(最後に入ったのが、いつだったか全く思い出せないので。)

『きみが死んだあとで』は、団塊世代も見ない映画なのかもしれないし、ネットで「世田谷自然左翼」と揶揄される人たちしか、見ない映画なのかもしれない、公開されたのが春だから、もっと話題になっているかと思いきや、全然ネットで検索しても、映画を観た感想が出てこないのである。


いい映画で、面白いと思ったのに。


なんでなのかなあ、と考えたのが、やっぱり、若い人は全く関心がない話である。

残念なことに、同世代の団塊の世代も、関心がない映画なのかもしれない。


学生運動に関わった当時の一部の人たちにとっては友人が死んだり、人生の棒に振ったりした、強烈な思い出話なのだろうが、やっぱり、思い出話にすぎないということなのか、と思った。


私は、代島監督のインタビューは丁寧だし、書籍版も半分しか読んでいないが、いろいろ新しい発見があり、とても面白かったのだが、この面白さが、全然共有されないことも、よくわかる。


知らない人に、説明してもポカーンとされるだろう。


私は、連合赤軍に一時期興味があって、『あさま山荘1972』など連合赤軍関係の書籍や映画をたくさん読んだり、見たりしたので、一応、60年代安保以降の時代背景や、学生運動のセクトの話はなんとなくわかるし、その文化的なハレーションもよくわかるのだが、そういうコンテクストに、興味のある人は、現代の日本に、ほぼいないのである。




政治の話なんか、みんな嫌いである。

そもそも、学生運動など、とっつきづらい話である。

また、2000年後半から、左翼とリベラルが嫌いだという人が一般的に増えた印象がある。(それはなんでなのかは、よくわからないが、急激に世間が右傾化した。)


その反面、そういうとっつきづらい話にしてきた、全共闘世代の責任もある。


仲間内でわかるだろうと、臭わせながら、しっかり語らなかったんじゃないか。

今更語っても、もう終わった話やないか、黒歴史やないか、というのが実情で、せっかくいい映画なのだが、もう語れる人が全然いないのである。

私も、抑えて書いているのである。

北ベトナムの人民がアメリカ軍に虐殺されるのが、気の毒だという反戦運動からはじまった学生運動なのに、そのベトナム人を現在も技能実習生と称して、来日させて、労働現場でコキ使っているという現在進行形の話をなんとかすべきだろ、と冷静なツッコミが私にはある。

結局、あの人たちは、北ベトナムの人民のことを本気で考えていたのかね、と心底思うのである。

でも、そんなこと、全共闘世代に対していちいち投げかけるのも、めんどくさいのである。

映画を観ていて、証言者である皆さんのいろいろに腹が立ったところもあるのだが、自分が、彼らの立場だったら、ああならざるを得ないというのがわかるところもある。


ああいう時代だったんだろう。


誰しも自分の生きていた時代を否定できない。


長くなったので、今日はこの辺でやめるが、私がこの映画を観ながら強烈に感じたのは、村上春樹さんのことだった。

証言者の語るエピソードが、村上春樹さんの作品に出てくる登場人物の言動に重なった。

村上春樹さんが、書かなかったことのネガの部分が、まさしくこの映画で語られている学生運動史だと思った。

代島監督は、書籍版の中で、『ノルウェイの森』の

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

と言うのを取り上げていたが、

私が思い出したのは、『ノルウェイの森』の永沢さんのセリフ

「自分に同情するな」「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」


だった。

「葛藤」というのは、自分への同情への葛藤だと思う。

証言者の皆さんの「葛藤」もその辺にありそうだった。


(つづく)





お志有難うございます。