見出し画像

岡本かの子『越年』読書会 (2022.5.27)

2022.5.27に行った岡本かの子『越年』読書会のもようです。

メルマガ読者さんの感想文はこちら

青空文庫 岡本かの子 『越年』

朗読しました。


私も書きました。

『堂島おしゃクソ事変』


(引用はじめ)

私、撲られた当座、随分口惜しかったけれど、今では段々薄れて来て、毎夜のように無駄に身体を疲らして銀座を歩くことなんか何だか莫迦(ばか)らしくなって来たの。殊に事変下でね……。

(引用おわり)

「事変」とは宣戦布告のないままの戦争状態をいう。
ルソーが社会契約論の第一編第四章で、以下のように書いている。

(引用はじめ)
宣戦ということは、権力者にたいするよりも、むしろその臣民にたいする警告なのである。
(岩波文庫『社会契約論』P.25)

(引用おわり)

宣戦布告とは、交戦国が戦争状態にあることを、相手国とその国民と国際社会と、さらには自国民に正式に伝えることである。宣戦布告しないことメリットは、国際法にのっとらず、非人道的な戦闘行為が可能なことだ。「事変」とは、非人道的な後ろめたい状況なのである。そういう非人道的な後ろめたい世相の影響もあってか、堂島潔は、理由も明かさないまま、いきなり加奈江をなぐり、会社を辞めてしまった。

これでは、堂島事変である。

加奈江は、会社とその従業員に、殴られたことを報告して、堂島探しに乗り出した。

(引用はじめ)

事変下の緊縮した歳暮はそれだけに成るべく無駄を省いて、より効果的にしようとする人々の切羽詰まったような気分が街に籠(こも)って、銀ブラする人も、裏街を飲んで歩く青年たちにも、こつんとした感じが加わった。それらの人を分けて堂島を探す加奈江と明子は反撥のようなものを心身に受けて余計に疲れを感じた。

(引用おわり)

会社の同僚同士が、理由のわからないまま、交戦状態となり、緊迫したまま年を越す姿が、生々しく描かれている。

加奈江が、松の内に裾模様の晴れ着姿で、銀座に繰り出して、とうとう堂島を探し当てて、殴り返して復讐を遂げるという描写の中に、事変下の奇妙な世相と人々の狂い始めた精神状態が透けて見えて、なんとも言えないリアリティーを醸し出している。

 事変下の世相には「こつん」とした鬱屈があっただろうが、冬のボーナスが出るほど、経済的には好調であった。堂島と
加奈江の勤める会社は戦時統制経済下で、軍需品を作っておそらく満洲に輸出している拓殖会社である。一応は、ボーナスがでるほど、利益は出ているが、純粋の軍需産業ではないので、堂島は、事変後の不況を見越して、もっと安定した電気会社に転職した。

加奈江は戦前にOLであったという、最初の職業婦人である。会社の書類の整理室に勤務しているので、おそらくタイピストだったのかもしれない。職業婦人で令嬢である戦前の高学歴キラキラ系リベラル女子&高収入バビロン軍需産業系OLである高嶺の花、加奈江への想いをこじらせて、自分で諦めをつけるために、堂島事変に及んだのである。

上司の指図で行った加奈江の無視が、堂島のミソジニー(女性蔑視)的傾向に火をつけた。俺を馬鹿にしやがって! 左頬に一発。本来なら、暴行罪で、警察に告訴するべきところだ。そこまでしなかったのは、そういう告訴が受理される見込みが薄かったからかもしれないが、根本が、男女の愛憎のもつれで、告訴するのも野暮であるからであろう。考えてみれば愛憎のもつれが、事変なのである。どっかで起こっている事変も愛憎のもつれである。

愛憎のもつれが、最後の堂島の赤裸々かつ饒舌な手紙に表れていて、めんどくせえやつだなと思った。
堂島は、品川転職系おしゃべりクソ野郎である。

しかし、それはさておき、その何年かあとには、アメリカに宣戦布告し、銀座はアメリカ軍B29で火の海である。
事変後の不況どころではない。堂島も徴兵されたであろう。
結婚した加奈江は、夫の出征を見送り、国防婦人会で日の丸を振ったであろう。
銀座も麻布も青山も焼け野原と化し、乳飲み子を連れて防空壕で眠れぬ日々を過ごしたかもしれない。
堂島は、南方の戦線で野火を見て、猿の謎肉を喰ったであろう。これが、事変の結末である。

堂島が、加奈江に手を上げた頃から、この事変の悲劇の結末は予想されていた。
岡本かの子先生は、その結末を見届けないまま、世を去った。
統制経済とミソジニーから、国家総動員、リベラルデモクラシーの死。
この過ちを繰り返すのか? 目下その瀬戸際の、嫌な世相である。東アジアにも事変がはじまりそうだ。

夢中で殴り合ったあの越年の日々を、ふたりはその後の人生において、どんな思いで、回想したのだろう。

(おわり)

読書会のもようです。


お志有難うございます。