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読書日記(2024.2.20) こんなこと


ウェンダースの『パーフェクトデイズ』で役所広司が古本屋のゾッキ本の棚から幸田文の『木』を選んで購入するシーンがあった。

ゾッキ本、見切り品のことである。100円均一の棚である。

私は、『パーフェクトデイズ』を松竹相生座に見に行った帰りに、アーケード街にできた(いつからできたのか知らないが)古本屋に寄ったら、ゾッキ本の棚に幸田露伴の岩波文庫が2冊あったので買ってきた。

微妙に渋いラインナップの文庫が並んでいる。ブックオフではそういう出会いは、まあない。

あと小林多喜二の文庫が100均ではないが、いくつかあった。ちょっと高かったので、買うのはよした。

収録の『こんなこと』というエッセイ。

幸田露伴に掃除の仕方を習った少女時代。1日目は掃除道具の自作と手入れを学ぶ。

2日目は、幸田露伴から、はたきの使い方を学ぶ。

ばたばたとはじめると、待ったとやられた。「はたきの房を短くしたのは何の為(ため)だ、軽いのは何の為だ。第一お前の目はどこを見ている。埃はどこにある。はたきのどこが障子のどこにあたるのだ。それにあの音は何だ。学校には音楽の時間があるだろう、いい声で唱うばかりが能じゃない。いやな音を無くすのも大事なのだ。あんなにばたばたやって見ろ。意地の悪い姑さんなら敵討(かたきうち)がはじまったよって駆け出すかも知れない。はたきをかけるのに広告はいらない。物事は何でもいつの間にかしごとができたというように際立たないのがいい。」ことばは機嫌(きげん)をとるような優しさと、毬(いが)のような痛みをまぜて、父の口から飛び出してくる。

「こんなこと」

明治の丁寧な暮らしというのが伝わってくる。それとともに幸田文の父・露伴への敬愛というか、向田邦子も父親のことを書くときこんな調子であるけれども、娘が、父を仰ぎ見るような、何とも言えない、サザエさん的な日々の暮らしの中での親子の情愛が伝わってくる。

いやな音をなくすのも大事だ、とか、敵討がはじまったよって、というくすぐりは、いきな皮肉だと思うが、今で言えば立派なマンスプレイニングである。

明治の頃の文体で書いているから読めるんであって、現代でこのような父と娘のレクハラチックなシーンを、小説で展開すると、何か、読むに耐えない、気色の悪いものになりそうだ。

『パーフェクトデイズ』の役所広司みたいに生きていけたら、幸福だ、とは思わないが、幸田文みたいな文章が書けたら、幸福だと思う。


(おわり)


お志有難うございます。