人生とは「やかん」みたいなものかもしれない
「人生」を語るほどの経験をしているわけではないし、語るつもりもさらさらありません。
でもここ最近、たった24年の人生、特に高校を卒業してからの7年間は、やかんみたいだなーって感じます。水は99℃から100℃になってお湯に変わりますが、たった1℃の違いで人生も別のものになってしまうような、そんなことを感じる今日この頃です。
99.99℃になるまで溜めて溜めて溜めていたものが、沸点を迎えるとお祭り騒ぎになるように、楽しい時もしんどい時も、自分自身の変化点を迎えるまで辛抱すれば、別物のようになるんじゃないかな。
人生にはフェーズがあるかもしれない
「フェーズ」を説明するのは難しいけれど、その人の人生その時に経験、解決すべきことに向き合う時期、タイミングみたいなものでしょうか。
ここばっかりは僕の人生経験が足りなくて上手く書けないけれど、とある先生が「人生経験には終わりがない」って言っていたので考えてみました。
一人例に出してみようと思います。
いまやNIKEを知らない人はいないでしょう。NIKEの創業者フィル・ナイトは『SHOE DOG』の中でこんなことを言っていました。
僕は果たしてこのまま社会に出て良いのか分からない。大学も出て、スタンフォードでMBA(経営学修士)も取った。このまま社会に出ればエリート街道に進めるだろう。でも、なぜかその気になれない。
そんなことより、もっと世界を見てみたい。人間の歴史や叡智、世界の文化や価値観、精神の旅をしてみたい。社会に出る前に、そういうことをしないといけない気がするんだ。
こんなことを思って彼は社会に飛び出す前にギリシャに旅立ちました。そこで見つけたサモトラケのニケに感動し、ブランド名をNIKEにしたのは有名な話です。
現代のスポーツカルチャーの立役者フィル・ナイトは、スポーツカルチャーをけん引するステージにいるのですが、そんな彼も20代の初めのころは、社会に迷い、世界と歴史、人間を知りに行ったのです。そんな精神の旅・人間の旅が彼の20代のステージ、ひいてはNIKEに必要だったのでしょうね。
やかんの水が沸点を迎えるまではただの水であるように、自分のフェーズもとある時・とある出会いを迎えるまでは、先につながらない(ように見える)時間なのかもしれません。そこを耐えるのがコツなのです。
点と点をつなぐ
iPhone13がつい先日発表されましたが、2007年、初代iPhoneを発表したのはスティーブ・ジョブズです。彼がスタンフォード大学の卒業式で語った演説は、伝説のスピーチと呼ばれています。
自分がやっていることは、何かしらの形で将来につながる線となる。だから、良く分からなくても心のままに今やるべきことをやれば良いと、そんなことを言っているわけですが、先のフィル・ナイトの話にも通じるんですよね。
スティーブ・ジョブズは大学生のころ、ただのクレイジーな人だったみたい。ヒッピーでジャンキーで、インドにグル(師匠)を見つけに修行に行っているし、いわゆる一般的な大学生ではなかったようです。
つまらなかった大学を中退し、好きな授業ばかり潜り込むようになったのですが、その中の一つにカリグラフィー(文字を美しく見せる技法)がありました。そこでの学びが、彼の東洋的な思想と結びつき、Mac bookやiPhoneの美しさ、デザインにつながっていたりします。
NIKEのフィル・ナイトが人間の歴史・精神・美術に衝撃を受け、紋切り型の人生に迎合することなくNIKEを創り、Appleのスティーブ・ジョブズは思想や経験や哲学をiPhoneに落とし込んでいるんですよね。
周りの目から見たら訳の分からないことでも、将来何かにつながるのか分からないことでも、内から湧き出る興味や衝動に従えば、どこかのタイミングで何かしらにつながるのでしょう。
翻って自分を観てみると
フィル・ナイトやスティーブ・ジョブズ、彼らビッグネームの話はネットや伝記があるのでそちらをお読みください笑。大切なことは、エッセンスを自分自身や周りの人に還元することですよね。
となると、自分自身の「点」と「フェーズ」は一体何だろうという話になるのです。
僕の場合、大学生~社会人1年目くらいまでの6年間が色々あったフェーズだったような気がします。
学校に全く馴染めず、バイトも続かず、サークルは2回で引退し、〇〇団体に入るわけでもなく、一人の時間が多かった大学時代でした。高校まではバスケ部みんなと一緒にいたので、今までにはないステージ・経験、孤独な時間でした。
その代わり、20ヵ国を訪れたり、色々な人に出会ったり、インドでヨガを学んだり、プチベジタリアンになってみたり、恋愛したり失恋したり、社会人1年目なのに7社経験したり、クビになったり、惨めな想いをしたり、。
なんだが、良く分からないハードな旅路でした笑。
でもこれらの「点」は説明できないけれど確固たる背景があって、不器用ながら自分自身で選択した道でした。
ジャック・ケルアックが『オンザロード』で文化を創ったように、一人一人の道は、必ずどこかに拓けるのではないでしょうか。
僕は自分の旅するフェーズをそろそろ終わらせたいと思っていた頃、人に拾っていただいて6年間の旅路に一区切りつけられた気がします。
そして、面白いことに、フェーズに区切りがつくと、今までの点が本当にキュッとつながる感覚があるのです。過去の人との出会いや別れ、悩みやしんどさ、経験や感情が、自分自身の感性となるような、そんな感覚です。
本当に少しずつですが、自分以外の大事なもの、大切な人、守りたいものが増えてきて、こうやって大人になっていくのですかねぇ。
いつでも沸騰し直せるように
とはいえ、人生を経験すること、少しずつ知っていくことは若干怖くもあるのです。
何も知らない、分からないからめちゃめちゃなことを出来たのだろうし、自分以外の大事な何かができると、今までのような自由が利きません。保守的になってしまう自分自身が怖いのです。
フェーズによって、人の課題は変わっていくのでしょうね。
ヨーガの考え方には、アーシュラマ(住期)という概念があります。これは人生100年を4分割して、25年を一つのフェーズにしようというものです。
25歳までは学ぶ期間、26歳からは仕事や家庭を築く期間と言われています。
偶然か必然か、僕は今年で25歳。
人生の大きな学びの期間、土台の期間を卒業しても良いのかもしれませんね。坂本龍馬も26歳までプー太郎だったようですし。
フェーズによって課題が変わるのであれば、次はどんなステージになるのでしょうか。この辺はあるがままに生きていれば勝手に分かるのではないかというのが自分の仮説です。
古代ギリシアのソクラテスが無知の知と言っているし、東洋ではブッタが諸行無常と言っています。生き方については老子がタオのアドバイスを残してくれています。
この辺りを語るつもりは全くないけれど、人生には本質的に意味がないとすると、全部自分自身が作り出しているストーリーなんですよね。
ならば、高尚なことに囚われるのではなく、目の前の仕事、人、時間を大事にするだけで良いのかなって思います。良く、大人の方々が感謝が大切だって言われるけれど、この辺りのことが体感を持って込められているんでしょうね。僕はまだまだ子供です。
社会的に良いと言われる自分らしさに流されず、歴史の縦横から根を張りしなやかに過ごしたいですね。少なくとも自分と、精一杯広げられる周りの人と、そしてできるだけその先の無理ない範囲にも。
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