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10月30日(1999年) 月イチ勝利ならず

 溺れる者はわらをもつかむ…。
 ちょっと違うか。
 勝てないときにサポーターが拠り所にするのは、新しい選手の起用や戦術の転換だったりするが、そういう直接チームにかかわること以外に、「都合の良いデータ」を探し出してそれを信じる、ということもやったりする。

 浦和レッズがJ2に降格した1999シーズン。ア・デモス新監督を迎えて臨んだ2ndステージも開幕から4連敗と全く改善の兆しは見えなかった。第5節でセレッソ大阪にステージ初勝利を挙げたが、その後はまた4連敗。その全てが延長Vゴール負けという悔しさだった。しかし第10節のガンバ大阪戦でシーズン2勝目を挙げた。Jリーグはそこから約1か月のところで中断に入った。

 チームはJヴィレッジでキャンプをやったり、ウルグアイ代表DFのフェルナンド・ピクンや名古屋グランパスエイトの左サイドバック中谷勇介を獲得したりと、残り5試合に向けた準備をした。
 そしてサポーターの間で言われていたのが、「中断明けのヴィッセル神戸戦は勝てる」というもので、その根拠となったのが「月イチ勝利の法則」だった。

 2ndステージ開幕は8月7日。ステージ初勝利を挙げたアウェイC大阪戦は8月28日だった。ステージ2勝目は9月23日のアウェイG大阪戦。その前にあった9月の試合は4戦全敗だった。
 8月、9月は毎月1回だけ勝利している。この法則は10月も続くに違いない。そして神戸戦は10月30日で、10月はこれ1試合だ。つまり「月イチ勝利」の法則が働いて、神戸戦は勝つ! というものだった。

 2か月のデータで「法則」も何もあったものではないし、その法則が11月も続いたら4試合で1勝しかできなくなってしまい、とても残留はできないのだが、練習も移籍もできないサポーターは、試合がない時期は(あってもかもしれないが)こういうことを言い合って、酒のツマミやネットで会話し合うのも楽しみの一つなのだろう。

 僕は「法則」を信じたわけではないが、この1か月の中断は、7月に左膝のじん帯を負傷した小野伸二にとって復帰のための貴重な期間になりそうだ、という考えがあった。小野の出場するかしないかで、レッズの勝利は間違いなく変わっていた。そういう根拠で神戸戦勝利を信じていたのだが…。

 1999年10月30日、浦和レッズは神戸ユニバー記念競技場に乗り込んで、ヴィッセル神戸と2ndステージ第11節を行い、0-2で敗れた。新戦力のピクンや中谷も出場し、小野が2ndステージ初めて先発したが、まだ完調には至らなかったようで、攻撃での冴えがあまり見られなかった。

 1か月以上の「ため」の期間に期待も膨らんだので、負けたときの悔しさも大きかったが、サポーターの切り替えは早かった。残り4試合での残留を目指して、どう応援するか準備に入っていった。 

 さて、みなさんは1999年10月30日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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