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1月26日(2007年) そうか、16年前のきょうか

 同じ年のことを連日取り上げるのは初めて(か?)

 2007年1月26日、浦和レッズは阿部勇樹の移籍記者会見を行った。前日にホルガー・オジェック監督の「再任」会見をやったばかりだった。

「阿部勇樹、浦和」

 今でこそ、酒井宏樹が来たり、興梠慎三が来たり、柏木陽介が来たりと、日本人の大物移籍にも慣れているが、当時はかなり驚いた。
 現役日本代表。しかもジェフユナイテッド千葉のキャプテンが浦和レッズに来る。しかもまだ25歳。
 
 印象は、2005年ヤマザキナビスコカップ準決勝第2戦。レッズが3点以上取らなければいけない試合で前半2点を先行し、追いつき追い越すのも時間の問題と思っていた後半早々、CKをニアで合わせて冷水をぶっかけた男、だった。

 それがレッズを長い間牽引したレジェンドとして、惜しまれながら引退する選手になろうとは。
 その引退試合のMDPを、編集長でもなくなった自分があれほど力を注ぎ込んで書くことになろうとは。
 さらに、阿部がトップチームに来るまで、この仕事に関わっていたいと思うようになるとは。

 すべては16年前のこの日が始まりだったのか。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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