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5月29日(1993年) まちがこうなるのか! Jリーグ初勝利の日

 このマガジン「あの日のわたしたち」を始めるときに、頭に浮かんできた日がいくつか、いや「いくつも」あった。日付も内容も何も見ないで言えるほど記憶に刻まれている日、そして浦和レッズの30年を語るときに欠かせない日。その一つが今日だ。

 1993年5月29日(土)、浦和レッズは駒場競技場にヴェルディ川崎を迎え、Jリーグ1stステージ第5節を行い、1-1の後PK戦で勝利した。これが浦和レッズのJリーグ初勝利で、ホームタウン浦和が燃えた日だった。

開幕4連敗でヴェルディと対戦

 レッズは5月16日、ガンバ大阪との開幕戦を落としたあと、ホーム開幕となる名古屋グランパスエイト戦も完敗。第3節、第4節は連続アウェイで横浜フリューゲルス、ジェフユナイテッド市原に敗れ開幕から4連敗。挙げたゴールは1点だけ、という有様だった。

 ヴェルディは前年のJリーグ開幕プレ大会とも言うべき、ヤマザキナビスコカップの覇者。レッズは予選リーグで激戦の末、0-1で負けた。また天皇杯準決勝でも対戦し、こちらは2-2のあとPK戦で負けた。いずれも勝っていておかしくない試合だった。
 それでなくて当時は先発メンバーで日本代表でない選手を探すのが難しいほどの人気チームで、若干のひがみもあり、王者に対するチャレンジャー精神もあり、それまでの4試合よりも燃えていた。もちろん、これは僕の話でチームの意識ではない。
 ただ、日本リーグ時代から「読売クラブ」との試合は燃えるものがあったと言うし、レッズはJリーグが始まって4試合で1勝もできずに迎えた2度目のホームゲームだった。選手たちの気持ちは「勝ちたい」から「勝たなければいけない」に変わり、ギラギラしていたに違いない。

打倒ヴェルディ!の雰囲気が満々

 サポーター、当時はまだサポーター候補だったかもしれないが、レッズの応援に集まった多くの人たちもそれは同じだっただろう。Jリーグという新しい催しに惹かれた部分もあるにせよ、「打倒、ヴェルディ!」の思いは共通しているようだった。すなわちサッカーの勝負に臨んでいる雰囲気が満々のスタンドだった。

 前回のホーム、第2節の名古屋戦は水曜日ということもあってか9,259人の入り。これでも駒場は超満員なのだが、このヴェルディ戦はそれより400人以上多い9,690人。隙間までぎっしり人が詰まっていた。そして、それでも入場できない人がスタジアムの周りにあふれていた。フェンスによじ昇って見るのは中高生がほとんどだったが、その数も水曜日より多いようだった。

値千金、河野真一の同点ゴール

 試合では、それまでの4試合より多くの火花が散っていた。コンビネーションに長けたヴェルディにパスを回され主導権を握られる時間が長かったが、それに対してレッズは運動量で対抗。食らいついているという感じだった。
 開始6分に先制されるが、それで気落ちするどころか、さらに火がついたようでヴェルディをたじたじとさせるシーンもあった。そして後半に入ってすぐの49分、名取篤が遠めから打ったシュートが前線の河野真一に当たった。河野はそのボールをうまくコントロールして、振り向きざまシュート。これがネットを揺らした。

VARなくても、見逃さないハンド

 この同点ゴールで、駒場のボルテージはさらにヒートアップした。なにしろレッズのゴールはそれまでの4試合で1点。それも0-3から72分に挙げたものだったから、チームで喜んでいる余裕があまりなかったのだ。

 そのまま逆転したかったが、さすがにヴェルディは試合巧者。レッズの勢いをうまく削ぐやり方でしのぎ、また攻勢を取り始めた。 そしてヴェルディの武田修宏が右サイドでパスを受け、そのまま持ち込みシュート。2点目が決まったかに見えたが、パスを受けた際にトラップしたボールが手に当たっていたということで取り消された。主審が副審に確認に行ったのだが、それを促したのはスタジアムを揺らすかのような「ハンド!ハンド!」の大コールだった。

名手ペレイラがPKを外し決着

 90分が終わり、延長でもスコアは1-1から動かず、PK戦へ。誰もが前年12月23日の天皇杯準決勝を思い浮かべただろう。
 先蹴りはレッズ。トリビソンノが決めると、ヴェルディは柱谷哲二がいきなり上に外し失敗。この試合で先制ゴールを挙げたのが柱谷だったのだが、それが帳消しになった。レッズは広瀬治、福田正博、堀孝史と連続で成功。ヴェルディも2人目、3人目が成功し、ここまで4-2。ヴェルディの4人目が外せば5人目を待たずしてレッズの勝ちになる。蹴るのはペレイラ。この年、MVPに輝いたリベロで、FKも直接決める名手だ。全員が固唾を呑んで見守る中、放たれたシュートはバーをたたいた。

  優勝したときのような、という表現が決して大げさではない歓喜が駒場を包んだ。メーン、バックのサポーターも立ち上がって何かを叫んでいた。みんな本当に幸せそうだった。
 取材に来たメディアの数も優勝が決まるときぐらい大勢だった。

駒場を出てまちに広がる喜びの輪

 そして喜びの輪は駒場を出てまちに広がっていった。
 サポーターが道を歩いていると通る車が「浦和レッズ」コールのリズムでクラクションを鳴らす。駅では仕事帰りの人が、サポーターに「レッズ勝ったんですか?」と尋ね、見知らぬ人と握手をかわす。インターネットがないとそういうコミュニケーションが生まれる。
 レッズサポーターが集まることで知られる居酒屋「力」は今とは違う場所だったが、店には入りきらないサポーターが道にあふれ、何度も何度も、乾杯の声が聞こえた。とても全部を回ることはできなかったが、浦和の居酒屋はどこも遅くまで真っ赤に染まっていたのではないか。

 レッズが勝つと浦和がこうなるのか、ということをあらためて知った日だった。

 さて、みなさんは年5月日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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