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1月20日(2004年) 本物の「クラブハウス」が完成

 2004年1月20日、浦和レッズの練習場である大原サッカー場のクラブハウスが新しくなり、この日メディア向けに内覧会が行われた。また翌21日には、落成式が挙行された。

マッサージルーム
玄関
ロッカールーム
浴室
サポーターカフェには駒場スタジアムの模型

 大原サッカー場は、浦和レッズ誕生が決まってから三菱サッカー部と浦和市(当時)が協議し、専用の練習場所を模索していたが、なかなか結論が出ず、1992年のヤマザキナビスコカップ期間中は、それまでと同じ調布のグラウンドで練習していた。
 1993年は、選手の基本的な宿舎として浦和市内のホテルを借り上げたが、練習場は荒川総合運動公園など河川敷の施設を利用していた。ようやく市内の元遊水池を整備して、大原サッカー場が完成したのは1stステージが終わった後の、7月16日だった。
 同時に敷地内にクラブハウスも建てられたが、条例の問題もあって基礎工事が必要な堅牢な建設物を造ることができず、プレハブ式に近いものだった。

 その施設でレッズは10年以上練習し、一時はJ2降格も味わったが、11年目の2003年にはクラブ初戴冠となるナビスコ杯優勝を遂げた。

 新しいクラブハウスは、選手の利用施設はもちろん、サポーターカフェや見学用の設備もあり、クラブの強化部門もここに移せるような本格的な建物で、「クラブハウス」と呼ぶには抵抗があった以前のものとは、外観も機能も比べものにならなかった。
 そういえば、移籍交渉中だった外国籍選手が旧クラブハウスを見て、すぐに帰国してしまった、という「逸話」もあった。

 その後、2017年に大原クラブハウスは増築され、現在の形になっている。
 プロのサッカークラブが、プロらしい活動をするには、それを支える環境が必要だ。

 だが、レッズの黎明期から10年間、苦しい時期のレッズが過ごした、あのプレハブクラブハウスを僕は忘れない。
 
 沖縄出張中のため写真が探せないが、後日あの懐かしい「雄姿」をここに掲載しようと思う。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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