6月29日(1996年) ナビスコ予選リーグは敗退決定、気持ちを切り替えて中断へ
1996年6月29日(土)、浦和レッズは駒場スタジアムにジュビロ磐田を迎えて、Jリーグヤマザキナビスコカップ予選リーグ第5節の第1戦を行い、1-2で敗れた。
8チームで2チーム抜けの超狭き門
この年のナビスコカップ予選リーグは変則的な形で行われたことは「6月8日」に書いた。
リーグ戦なのに、ホーム&アウェイ2試合の合計得点で勝ち、負け、引き分けが決まるというのも変則的だったが、それよりも8チームのグループで2チームしか決勝トーナメントに進めない、という「超」がつく狭き門だった。8チームリーグで2チーム抜けって、他に例があっただろうか。
全7節のうち5節を終われば、そろそろ予選リーグ敗退が決まるチームも出てくる。しかも第5節から第6節までの間に1か月以上の中断があった。
第5節で予選リーグ敗退が決まったチームは、第6節以降の4試合に対する気持ちはゼロで1か月の中断期間を過ごすだろう。
ただしナビスコカップでのモチベーションはゼロでも、対戦するのはみんなJクラブだから、8月に再開するJリーグ後半戦で当たる。その前哨戦にはなるわけで、逆に中断期間はリーグ戦に気持ちを切り替えて、ナビスコカップの残り4試合はプレシーズンマッチのように位置づければ無駄ではない。
レッズも予選敗退で中断を迎えた
結論から言うと、レッズもその「気持ち切り替え組」になった。
第4節まで終えて、ベルマーレ平塚に1勝1分けで勝ち点3を挙げただけだった。この磐田との第5節で勝ち点を挙げられず、上位チームが勝ち点を伸ばせば予選リーグ敗退が決まる位置にいた。
で、先述したようにホームの第1戦は1-2の負け。
そして、翌週水曜日にアウェイで行われた第2戦は1-1。磐田に勝ち点3が入った。磐田は予選リーグ2位で勝ち点10となり、勝ち点3のレッズは、残りの2節で勝ち点6を挙げたとしても磐田に追い付けない。
1996年6月29日の磐田戦は、レッズに気持ちをJリーグに切り替えさせる節の第1戦だった。
この日の投稿は少ないだろうな。何しろ6月29日に試合があったのは30年間でこれだけだから。
ちなみに当時の名称は「節」を「ラウンド」となっていたが、紛らわしいのでここでは「節」で表記した。
さて、みなさんは1996年6月29日、何をして何を感じていましたか?
※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
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