1月22日(2010年) スギちゃんの指導者人生がスタート

 2010年1月22日、元浦和レッズの杉山弘一が、アルビレックス新潟シンガポールの監督に就任することが発表された。

 杉山は大阪商業大学から1994年にレッズ加入。元々FWだった足の速さや突破力を買われて左サイドバックとしてルーキーイヤーからレギュラー出場し、「スギ」の相性で親しまれた。
 1998年を最後にレッズを離れ、ヴェルディ、新潟でプレーして引退。2004年から浦和レッズ・ハートフル・クラブのコーチとして戻ってきていた。

 関西なまりと親しみやすい表情は、お笑い芸人をイメージさせたが、話すと哲学的、論理的思考の人だという印象が強く、僕はそのギャップが好きだった。
 ハートフルクラブのコーチで子どもたちに自己紹介するとき「杉山弘一です。すぎやまこういち、すぎやまこーいち、すぎやまこーち、すぎやまコーチ! すぎコーチと呼んでくださーい!」と言っていたのを聞いて(このノリは芸人向きかもしれないけど、出来を考えると芸人でなくサッカー選手になってよかったな)と思っていた。でも子どもたちには人気があったようだ。

 本格的にサッカーの指導者を目指したかったのだろう。古巣でもある新潟がシンガポールに設立していたチームの監督を務めることになった。これが指導者・杉山弘一のスタートだった。そして翌年、シンガポールリーグカップで、チーム初タイトルを獲得している。

 その後、タイのクラブで監督をしていると思ったら、ブラウブリッツ秋田で優勝したりと神出鬼没のスギちゃんだったが、2021年から京都サンガのコーチを務め、J1昇格に貢献した。昨季は2度対戦したのに挨拶する機会がなかった。

 実は、2017年の1月、新宿のデパートの中でスギちゃんとすれ違った。「あれっ?」と思って振り返ったら、たしかに本人だったが、携帯で話し中だったので声は掛けられなかった。ただ、懐かしかったので、しばらくして携帯に電話した。
「あ、清尾さん。ごぶさたしてます。秋田に決まりました」
 は?
「今年からブラウブリッツ秋田の監督やらせてもらいます」

 なんと、すれ違ったときの電話はそれだったようで、すごいターミングポイントのときに出会ったな、と思った。
 その年、スギちゃんは秋田をJ3優勝に導くが、J2クラブライセンスがなかったため、秋田のJ2昇格はならなかった。翌年途中、成績不振を理由にスギちゃんは契約解除となってしまうのだが、前年の優勝が起爆剤となったのだろう。秋田はその年、J2クラブライセンスを取得した。
 秋田のJ2昇格は2021年を待たなければならなかったが、杉山弘一の名前はブラウブリッツの歴史にどう刻まれているのだろうか。

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