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9月5日(1992年) ここから始まった浦和レッズとMDP

 この日は忘れられない。
 もちろん僕個人の感情だけではなく、浦和レッズの歴史にとって大きな一歩、はじめの一歩を記した日だ。
 Jリーグヤマザキナビスコカップ予選リーグ開幕戦。浦和レッズにとって初めてのプロ公式試合が行われた。
 相手は東日本JR古河SC。最近の人なら、これがジェフユナイテッド千葉だとはわからないだろう。ホームタウン名の「市原」も入っていないし企業名もなんで「JR東日本」ではないんだろう?

 1991年2月、Jリーグ立ち上げの10クラブ、いわゆる「オリジナル10」が発表された。それまでのトップリーグ、日本サッカーリーグは1992年3月をもって廃止された。Jリーグの開幕が1993年5月だから、せっかくプロサッカー設立で盛り上がった熱が、1年以上もトップリーグの試合がなければ冷めてしまっただろう。結果として、この92年9月から11月まで行われたJリーグカップは、翌年からのJリーグの前哨戦として非常に大きな役割を果たした。

 9月5日。会場は大宮サッカー場。ホームスタジアムの駒場競技場は、翌年に備えてJリーグ仕様に改修中だった。18時キックオフだったが、僕は何時に行ったのだろう。会場の外は、関係者の笑顔と、忙しく立ち回るスタッフの緊張感、早くから集まったサッカーファンの期待感など、いろいろな感情が入り交じっていた。総じて言えばポジティブな雰囲気が渦巻いていたと思う。

 この数日前、Jリーグを受け入れるための地元の関係団体、自治体やサッカー協会などによる連絡会議が行われ、僕もJリーグ誘致組織だった「浦和プロサッカーを作ろう会」のメンバーとして出席した。席上、チケットがまだそれほど売れていないことが明らかになったが、埼玉県サッカー協会の理事長だった故・松本暁司さんが「埼玉は当日券が売れるんです」と、当日の入場者はだいぶ増えることを請け合った。
 埼玉県民にとってサッカーは特別なイベントではなく、フラッと出かけて見に行く身近なもの、ということを意味していたのかもしれない。

 当日の入りは4,934人。約1万人収容の大宮サッカー場としては少ない方だが、1万人というのは、立ち見席の両ゴール裏がパンパンになる数。現在と違って、「闘うために」好んでゴール裏に行く人はまだ多くなかった。
 だからメーンスタンド、バックスタンドは空席が目立たない程度にいっぱい。ゴール裏は立ち見だから、あまり空いた感じはしない。だから「超」はつかないが満員に近い見栄えだった。レッズの幹部スタッフ(のち代表)だった藤口光紀さんは、本気で感動していたと思う。

バックスタンド。赤い人はほぼいない

 接戦だった。パベルのゴールでジェフ(便宜上こう呼ぶ)がリードして折り返したが、後半レッズは望月聡が同点ゴール。74分にジェフが勝ち越すが、82分に柱谷幸一のゴールで再びレッズが追い付いた。
 当時は前線からのプレスなどなく、お互いにボールを持つとハーフウェイラインを過ぎるまでは攻め上がることができ、バイタルエリアに入って、さあどう崩すか、という展開だった記憶がある。もちろん最終ラインから一気にロングボールを送ることもあった。とにかく30年後の今とは、だいぶサッカーが違っていたことは事実だが、非常に胸を躍らせて見ていたことも間違いない。

この試合のスタメン。11人の名前言えますか?

 延長あり、PK戦ありの完全決着制。この試合も2-2で延長に入った。
 Vゴール(当時は「サドンデスゴール」)という制度だとは知っていたが、実際の試合で見たことはなかった。
 延長前半3分、ジェフの吉田暢がレッズの守備ラインを破るパス。裏にジェフの選手がいたのでオフサイドだと思った。だが、そのボールを吉田自身が拾ったのでオフサイドにはならず、レッズの選手たちが一瞬プレーを止めたスキを付いて、吉田が運び、最後はパベルが蹴り込んだ。

 オフサイド疑惑をめぐるモヤモヤもあったが、それよりも90分の熱戦の後、延長開始からたった3分で終わってしまったことに違和感があった。
 これがVゴールか。あっけないもんだな。
 あんなに盛り上がるものだとは、レッズのVゴール勝ちを見るまでわからなかった。

 ところでこの試合はレッズのホームゲームだから、浦和レッズ・オフィシャル・マッチデー・プログラム(MDP)もこの日に第1号が発行された。この年のJリーグカップで有料のプログラムを発行したクラブはなく、MDPはJリーグで最も歴史がある、というのはそれ故だ。

MDP第1号の表紙

 さて、みなさんは1992年9月5日、何をして何を感じていましたか?
 浦和レッズなんて、まだ知らなかった?
 それでも不思議ではないですね。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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