見出し画像

2月3日(2015年) 指宿キャンプの拠点はウイークリーマンションがベスト!

 今回はスーパー個人的な話だ。
 
 2015年2月3日(火)、浦和レッズは鹿児島県指宿市で第二次トレーニングキャンプを開始した。1月16日から26日まで宮崎市で一次キャンプを行い、一度戻ってイベントを済ませてから、この二次キャンプとなった。僕も初日から取材に訪れていた。

 初めて指宿市でキャンプを行った1995年は、会場である指宿いわさきホテルにメディアが同宿することが許されたが、翌年から翌々年からは不可になった。まあ、それが普通だろうから仕方がない。それでもオフィシャルは同宿可だったのだが、初期の「格安プラン」ではなく、通常料金になったので、会社の規定をはるかに超える額だった。しばらくは自腹を切って同宿していたが、2~3泊の話ではないので続かなかった。

この時期、指宿には菜の花がいっぱい

 そこから毎年のように宿と交通手段を変えた。
 
 鹿児島市内に泊まってレンタカーを借り、毎日通ったことも何年かあった。ビジネスホテル代は比較的安いし、鹿児島市内なら食事するところも多い。洗濯もコインランドリーがホテルや近辺にある。だが片道1時間強の運転は疲れるし、運転中は何もできない。

 鹿児島市内に泊まって、鹿児島中央駅から指宿まで約1時間、電車で通ったこともあった。指宿駅からいわさきホテルまで25分の歩きになるが、撮影機材をグラウンドの用具庫に置かせてもらったので、苦にはならなかった。電車の中で仕事もできるし、休むこともできる。だが電車の本数が少なく、行きは良いが練習の終了が長引いて帰りの電車を外すと1時間ほど待たなくてはならない。また平日の朝は通学客が多く、座れることは稀だ。

 指宿市内にも僕らが泊まれるホテルはあり、そこに泊まった年もある。徒歩40分くらいかかったが居住性は快適だった。だが大きな問題が2つ。まず部屋が暗い。リゾートホテルなので仕事をする人のことは想定外なのか。本を読むにも不便だった。さらに、なんとネット環境がなかった。調べておかなかった僕が迂闊だったのだが、今どきそんな…。

 この翌年は、指宿市内でネット環境のあるところを探した。民宿のようなところだった。駅よりは近いし、ネットもある。普通の部屋だから、蛍光灯をつければ明るい。だが…。
 仕事をするのは、ちゃぶ台と座椅子だった。机と椅子に慣れた身としては、仕事をするにはつらい姿勢だ。それと畳に座っていると、ちょっと疲れると布団の誘惑がすぐに魔の手を伸ばしてくる(仕舞えよ!)。さらに、食事を出してくれる時間帯が合わなかったので頼まなかったのだが、毎朝コンビニのお握り、夜はホカ弁だった。

 そして、この2015年。この年は、ウイークリーマンションを借りた。今回の目玉は自炊だった。
 台所があるので、カレーとシチューとおでんの三種類をローテーションして、それぞれ2日ずつ食べた。
 御飯は電子レンジで炊ける一合炊きの鍋を持っていった。時間は取られるが、料理は苦にならない。それに、そのころ収入が減ってきたので食費も節約が必要だった。
 このときのマイナスポイントは、部屋に備え付けの包丁が刃に指を滑らせても血が出ないほど切れなかったことだったが、何とかなった。

洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ完備。リビングにはもちろんテレビもエアコンも
調理道具もまずまず。包丁は超がつくナマクラだったが
ここからカレーにするかシチューにするか
具だくさんです

 包丁を何とかして、ちゃんと計画を持って食事を作れば良い生活と仕事はできそうだった。いわさきホテルまで徒歩20分かからない(買い出しをすると40分くらいだが)。よし、来年もここに泊まろう、と決めた。

 最良の拠点を見つけた2015年だったが、レッズの指宿キャンプはそれ以来、行われていない。

 きょうは悲しいオチだったな。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?