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9月2日(2015年) 歴史的な大敗で終わった第1戦、逆転可能か

 たまには、こんな試合のことも記録しておかないとチョウチンnoteになってしまう。

 2015年9月2日(水)、浦和レッズはデンカビッグスワンスタジアムに乗り込んで、アルビレックス新潟とJリーグヤマザキナビスコカップ準々決勝第1戦を行い、0-5で敗れた。

 J2時代の2000シーズン、新潟に1-6の大敗を喫したことはあったが、新潟がJ1に昇格した2004年以降、これほどの大差で負けたことはなかった。いや、そもそも新潟とのJ1での対戦成績は、このときまで19勝4分け1敗と圧倒的に分が良かった。引き合いに出すのも何だが、同じ時期の鹿島アントラーズは新潟に9勝8分け7敗と手こずっていた感がある。
 ちなみにレッズの1敗は優勝した2006年なのだから、わからないものだ。また、ナビスコ杯ではレッズが予選リーグ突破決定後の最終節で新潟と対戦した際に、若手中心のチームで臨み、負けたことがあるが、公式戦ではその2敗だけだったのだ。

 たしかに代表ウイークで、西川周作、興梠慎三、槙野智章が不在だったということはあるかもしれない。GKはレッズでこれが公式戦2試合目となる大谷幸輝が務めた。
 前半はレッズが多くチャンスを作っていた。だが決められないまま。アディショナルタイムに入り、レッズ陣内で新潟がFKを得ると、クイックリスタート。レッズは守備の陣形を整えられず失点してしまった。
 だが1点取って1-1で終わればアウェイの第1戦としてはまずまず以上の出来だし、たとえ0-1のままでもホームの第2戦で逆転勝ちすることは難しくないはず。そんな気持ちで後半を迎えたのが良くなかったのか。

 50分にセットプレーから2点目を奪われると、それからは前がかりになっては失点を重ねるという悪循環で、終わってみれば0-5。新潟にしてみれば、何度も煮え湯を飲まされたレッズにこの大勝だから溜飲が下がる思いだっただろう。
 僕はさすがに口をあんぐり、という思いだった。この日の新潟は、前からのプレスを怠らず、レッズのビルドアップに制限を掛けていたと思う。それでも0-5はない。たとえ相手が大のお得意様の新潟でも、いくら第2戦が埼スタでも、初めから5点が必要な試合というのは厳しい。

決して大谷に要因がある5失点ではなかったと思う

 それでも、心のどこかに「この大差をひっくり返して準決勝に進めば、また伝説ができるな」という気持ちがあったことは間違いない。驕っていたのとは違う。居直っていたのだ。
 第2戦は9月6日。結果はみんな知っているだろうが、その日もnoteに残しておくことにする。

 さて、みなさんは2015年9月2日、何をして何を感じていましたか?

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