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清尾淳のレッズ話#244~アカデミーは「米百俵」の精神

昨日(8月24日24日)、浦和レッズ後援会の30周年記念セミナーが行われた。4回目となった今回は「活躍し続ける選手の共通点と育成年代に必要なこと」というタイトルで、Jクラブの育成がテーマだった。講師は
 
・都立久留米高校監督、FC東京U-15むさし、FC東京U-15深川監督、栃木SCアカデミーダイレクターを歴任し、JFA技術委員長を経て、現在はJFAアカデミー福島女子統括ダイレクター、女子U18監督を務めている、山口隆文さん
 

 
・元ヴェルディ川崎の選手、日本代表としても名高く「炎の左サイドバック」と呼ばれた都並敏史さん。引退後はサッカー解説者、ヴェルディの育成組織巡回コーチ、ユース監督を歴任し、現在はJFLブリオベッカ浦安の監督を務めている。
 
このお二人だった。
約1時間のトークセッションだったので十分とは言えずどちらかお一人にじっくり聞きたいとも思ったが、二人の話はそれぞれ違うので多彩な意見を聞くということでは、二人で正解だったかもしれない。トークセッションの詳しい内容は、後日後援会のホームページで見られると思う。
 
なので、ここでは気づいたことを一つだけ述べる。
トークセッションの資料として出されたものの中に、「J1登録選手に占める各クラブ下部組織出身者数ランキング」というものがあり、「ユース出身」「ジュニアユース出身」「ジュニア出身」の3つに分かれていた。
たとえば「ユース出身」部門では柏レイソルユース出身者はJ1登録619人(2023年8月8日現在)のうち22人で、その中の11人が現在レイソルに在籍中だという。他の11人は他のクラブに在籍しているわけで、たとえば酒井宏樹もその1人ということになる。
 
そのランキングを見ると、「ユース」「ジュニアユース」「ジュニア」の三部門とも柏レイソル、東京ヴェルディ、横浜F・マリノスが上位3位を占めていた(1~3位の順番はそれぞれ違うが)。
納得のランキングだった。この3クラブはJリーグ発足前から、それぞれ「日立サッカースクール」「読売クラブ」「日産サッカースクール」という名称で18歳以下の育成を行っていた。Jリーグ発足に伴い、各クラブは育成組織を持たなくてはならないという規定があったが、この3クラブはそれぞれの育成組織をそのままJクラブの育成に移行させたはずだ。
 
僕は埼玉新聞社在籍中に、少年サッカー~クラブジュニアユース(つまり学校以外)というカテゴリーを取材していたが、関東大会などになると「日立SS」「読売クラブ」「日産SS」「三菱養和SC」などの強豪に、埼玉の街クラブがどう立ち向かうか、というのが焦点の一つだった。
つまり、柏レイソル、東京ヴェルディ、横浜F・マリノスは、長い歴史と豊かな蓄積がある育成の「老舗」だということだ。
 
「米百俵の精神」というのはネットで調べればすぐに出てくるが、幕末のころ、最後まで新政府軍に抗戦した長岡藩が、焼け野原となり、食べる米にも苦労したので近隣の支藩から米百俵が贈られた。しかし、長岡藩はその米を食べるのではなく、売却してその金で学校を作り、地域の将来のための人材育成に力を入れた、という実話からきている(簡単ですみません)。
 
サッカー選手の育成は今年から力を入れて来年、再来年に成果が出るものではない。1人に関して単純に言えば小学3年生で指導を始めて、その子が高校を卒業する10年後に成果が出るかどうか、というスパンだし、そもそも育成の方針や細部がどうなのか、という試行錯誤もあるだろうから、そのクラブの育成システム自体が歴史を経ないと成果が出ないかもしれない。
 
「レッズ話#244」で述べたように、レッズは2002年に「プロで活躍できる選手を育成する」ことを主眼にしたアカデミーセンターを設置した。ある意味では、それが米百俵を売って学校を作ったことにあたるかもしれない。「プロ選手の育成」という点ではその4年後、7年後に一定の成果を見たが、さらに大きな成果を期待している。
 
今のレッズにはトップに伊藤敦樹、関根貴大、荻原拓也、堀内陽太、早川隼平という5人のユース出身選手が在籍している。もっと多くの選手がいた時期もあったが、活躍度合から言うと今はかなり「濃く」なっているように思う。アカデミーセンターができて20年を過ぎた成果と言えるのではないか。
ユースの監督をトップに引っこ抜いてしまうという乱暴なことを何度もやってきた割には。
 
ところで先ほど「日立SS」などと並んで挙げた育成の老舗「三菱養和」だが、浦和レッズのプロ移行にあたって「三菱養和がレッズの育成組織になるんでしょ」という見方が多かったが、「三菱養和会」は三菱グループのものであって、三菱自動車や三菱重工のものではないということで、新規に育成組織を立ち上げることになったのだった。
「三菱養和会」はそのまま存続しつつ、サッカー部門だけをレッズの育成組織に移行するということもできたのではないか、とも思うが、その辺の詳しい経緯は知らない。もしそうなっていたら、レッズの育成出身選手の数は変わっていたかもしれない。


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