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6月9日(1993年) 未熟で稚拙だったのは浦和レッズだけか?

 もう何十回見せられただろう。「清尾、もういいよ、それは。わかってるから」と言われることは百も承知で書く。浦和レッズ30年の歴史だから。そして言いたいこともあるから。

 1993年6月9日(水)、浦和レッズはカシマサッカースタジアムに乗り込んで、鹿島アントラーズとJリーグ1stステージ第8節を行い、1-3で敗れた。

 5月29日の第5節でヴェルディ川崎にPK勝ちしたレッズだったが、第6節、7節と連敗し1勝6敗。相手ゴールのネットを揺らしたのは7試合で2回だけだった。
 3回目がこの日、エース福田正博の初ゴールとして、しかも初の先制点という形で生まれた。ゴールまでの形も、縦パスを福田がワントラップで相手をかわし良いところにボールをおいて、時間をおかずシュート。文句の付けようのないファインゴールだった。

MDPから

 そりゃ喜ぶでしょ。優勝したような騒ぎになるよ。それ自体、弱いチームの証拠みたいで恥ずかしいけど、その指摘は甘んじて受ける。
 ええ、ええ。弱小チームが初めての先制点に我を忘れて、11人が全員自陣に戻って喜んでましたよ。

 でも、ですよ。日本リーグの歴史の中で、一度もそういうことがなかったんですか?
 そのときに、主審はルールどおり再開させたんですか?
 たとえ、そんな例が過去の日本に一度もなかったとしても、コーチでもないベンチ外の選手に指摘されてキックオフの笛を吹くってどうなんですか。
 絶対に取り上げてくれないと思うけど、Jリーグジャッジリプレイに聞いてみたいものだ。

 当時の浦和レッズが、勝ち慣れていないどころか、点を取り慣れてさえいなかったことは認める。アマチュアレベルだったと言われても反論しない。
 嫌と言うほど「サッカーを知らない」という言葉を聞かされたが、そのとおりだとうなずくしかない。ただし、心の中では「じゃあ、あんたが選手やコーチであの場にいたら、みんなを急いでポジションにつかせていた、と言い切れるんだな」と質している。これは、あのシーンを嗤ったサッカー関係者全員に対してそう言いたい。

 1993年6月9日は、浦和レッズの稚拙な部分をさらけ出してしまった日であることは間違いない。
 しかし、日本のサッカー界全体を代表して恥をかいた日だとも言いたい。
 そして日本の審判の未熟さも明らかにしてしまった日として、審判関係者の胸にひそかに刻まれてはいないのだろうか。

 さて、みなさんは1993年6月9日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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