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2月25日(2006年) XSC初優勝と4年半ぶりの“生伸二”

 2006年2月25日(土)、浦和レッズは国立競技場でゼロックス・スーパーカップに出場し、ガンバ大阪を3-1で下し初優勝を果たした。

 前年、通年制となったJリーグでレッズは2位。最終節まで優勝の可能性を残したが、勝ち点1差でG大阪にタイトルを譲った。しかし、その後の天皇杯で初優勝を決め、チーム誕生から14年目で初めてスーパーカップ出場の資格を得た。

 試合は開始2分にオウンゴールでリードを許したが、9分に堀之内が同点弾。このシーズン新加入のワシントンが2点目を決め、逆転して前半を折り返すと、51分にロブソンポンテが追加点を挙げ、リードを広げた。そのままレッズが勝ちを収めた。

 05シーズンはリーグ戦で1分け1敗。全体の成績でも後塵を拝したG大阪にほぼ完全な勝利。僕は雪辱した気分だった。
 だがメディア全体の関心はそのことより、1か月前にレッズへの復帰会見を行った小野伸二に集まっていた。カメラマンは、勝利の挨拶のためにスタンドに向かうチーム全体ではなく、伸二の写真を撮ることに集中。いつもの勝利の後とはだいぶ違う人の流れができていた。

シーズン最初の試合とあって報道陣の数もすごい

 たしかに公式戦でプレーする伸二をカメラ越しに見たのは4年半ぶりだったが、何とも言えない貫禄があったし、あらためてすごい奴がレッズに帰ってきたんだな、と思ったものだ。

当時、小野伸二26歳。そして43歳の今季も現役J1リーガー

 それと国立競技場での決勝は、2002年のヤマザキナビスコカップから数えて5回目。表彰式では僕が上で撮り、オフィシャルカメラマンの山添敏央さんがピッチレベルから撮ることになぜか分担が定着していて、表彰の段取りにもだいぶ慣れた自分がいることに気づき、そんなことでもレッズが強くなったことを実感するのだった。

表彰台に向かう選手たち。先に昇るか後から昇るかで、気分は天と地の差
復帰初戦でタイトル獲得

 浦和vsG大阪を「ナショナルダービー」と呼ぶ風潮はまだなかった。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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