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10月11日(2009年) 初の「3カテジャイキリ」で名前残す

 思い出すのも嫌な試合でも、記録しておかないといけないものがある。

 2009年10月11日(日)、浦和レッズは松本平広域公園総合球技場アルウィンに乗り込んで、松本山雅FCと第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦を行い、0-2で敗れた。

 松本は、当時地域リーグに所属。J3はまだなく、J1>J2>JFL>地域リーグという序列だったから、レッズから見て3つ下のカテゴリーということになる。
 レッズの先発はGK山岸範宏、DF平川忠亮、坪井慶介、山田暢久、細貝萌、MF鈴木啓太、山田直輝、ポンテ、原口元気、FW田中達也、エジミウソンと、全く相手を見くびったものではなかった。
 では、選手が格下の相手をナメていたのか。負けたのだからそう言われても仕方がない。
 立ち上がりから攻勢に出たレッズは縦パスをカットされ、カウンターから12分に先制された。リスクマネジメントが十分ではなかったということだろう。

 ただ、その後も何とかなると考えていた。たしかに焦る必要はなかったと思うが、少し戦い方や攻撃のリズムを変えてもよかったかもしれない。決定力も不足していた。後半に入ってもシュートが相手GKの好セーブに遭ったりもして、徐々に嫌なムードになってきた72分、またもカウンターから決定的な2点目を奪われた。

 大学チームを除くと、J1チームが地域リーグのチームに負けたのはこれが初めてで、当時は大番狂わせ、ジャイアントキリングの最たるものとして大変な話題になった。
 特に松本は、JFL昇格につながる全国地域サッカーリーグ決勝大会への出場権を争う全国社会人サッカー選手権大会を翌週に控えており、天皇杯どころではなかったはずなのだが、レッズは「行きがけの駄賃」にされた、というところだろうか。
 
 松本とアウェイで対戦するたびに、このことが思い出されるし、スタンドのあちこちで「2009年にね…」という会話がかわされていると思うと腹立たしくなる。
 松本が何か理不尽なことをしたわけではないのだが、あまり対戦したくないのはこのためだ。

 ちなみに現在はJ3があるから、JFLが3つ下のカテゴリーとなり、天皇杯で「3カテジャイキリ」(作・清尾)が起こるのはそう珍しくもなくなった。

 さて、みなさんは2009年10月11日、何をして何を感じていましたか?

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