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10月14日(1995年) モヤモヤを吹き飛ばした岡野の2ゴール

 1995年10月14日(土)、浦和レッズは日立柏サッカー場に乗り込んで、柏レイソルとJリーグ2ndステージ第16節を行い、5-2で勝利した。連敗を7で止めた貴重な試合だった。

 この年はオジェック監督が就任して堅守速攻の戦い方が定着。守備の要にギド・ブッフバルト、攻撃の起点にウーベ・バイン、速い攻撃に福田正博というキーマンがそろい、さらに各ポジションで日本人選手たちが奮闘し、チームが劇的に変わったシーズンだった。開幕直後こそ、勝利が少なかったが徐々に巻き返し、1stステージは優勝の可能性まで感じさせた3位。過去2年間連続年間最下位だったことを思えば躍進と言って良かった。

 2ndステージもまずまず以上の滑り出しで、第8節まで6勝2敗とステージ優勝も狙える位置に付けていた。
 それが7連敗と急降下したのは大きく2つの理由が考えられる。
 一つは堅守速攻への対策を採られると、スペースを敵陣に見つけることが難しくなったこと。当時のレッズにとって、ドリブルや連係で相手を抜いたり守り崩したりするのは簡単ではなかった。
 もう一つは9月23日に起きた、選手によるサポーターへの暴行事件の影響だ。

 とりわけ後者が深刻だった。
 まず当該選手はDFのレギュラーだったが、この件でシーズン終了時まで出場停止+奉仕活動という処分を受けたので戦力的にマイナスとなったのは間違いない。オジェック監督は、清水から期限付き移籍で獲得したブラジル人FWのトニーニョをセンターバックにコンバートし、手当てをしたが勝利には結びつかなかった。
 次に当該事件を隠蔽しようとしたとしか思えないクラブの対応にサポーターが不信感を持った。説明と謝罪はしたが、間違いではなく意図して隠蔽しようとしたか、あるいは発表するほどのこともないと軽く考えていたか、そのどちらにしても不快の念は簡単に消えない。
 そして当該サポーターを非難する声もサポーターの中にあった。選手が出場停止ならサポーターも入場禁止だろうという「喧嘩両成敗」的なものから、当該選手が思わずつかみかかるほどの何かを当該サポーターがしたのが発端という節まで様々なものが飛び交った。SNSがあまり普及していない時代だから口コミによるものが多かったと思うが、スタンドには疑心暗鬼の思いが渦巻いていた。

 引き出しの多くないチームが対策をされ、戦力がダウンし、応援の鋭さやパワーが弱まる。
 それで勝てるほどレッズは強くなかった。そういう中での7連敗だったのだ。

 そのモヤモヤしたものを吹き飛ばしたのがこの試合であり、岡野雅行だった。
 岡野は10分に先制ゴールを挙げると、34分に2点目を挙げる活躍。バインも29分に得点しており、前半3-0と大量リードに成功したのだ。
 59分に福永のゴールで突き放し、64分に1点を返されたがすぐにトニーニョがゴールし、流れを相手に渡さなかった。終了間際に2点目を入れられたが大勢に影響なく、5得点の大勝を収めた。
 ゴールした勢いのままゴール裏まで行き、サポーター一人ひとりを指差すようなポーズをして、スタンド前を駆け抜けた岡野は「お前も、お前も、お前も、お前も…、みんなやろうぜ!」と言っているようだった。

 全てがすっきりしたわけではなく、意図して声を上げる人はこの後もいた。しかし何も分からずモヤモヤしていた多くのサポーターの気持ちはだいぶ晴れた。
「ごちゃごちゃ言わずに、やればいいんだよ」
 岡野のこの精神が生んだゴールが「いま自分たちがやるべきことは、応援することだけ」という原点回帰を促したのかもしれない。この後、レッズは白星基調を取り戻し、第15節まで6勝9敗だった成績は、16節以降の11試合を8勝3敗の好成績で乗り切った。そしてチームの成績が良くなったことが、得点ランク1位を争う福田正博への追い風になったことは間違いない。

 さて、みなさんは1995年10月14日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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