見出し画像

10月17日(2004年) チャンピオンシップの参考にされた試合だったのか

 2004年10月17日、浦和レッズは埼玉スタジアムに横浜F・マリノスを迎えて、J1リーグ2ndステージ第9節を行い、0-0で引き分けた。このシーズンの開幕戦、アウェイの横浜FM戦に続いてのドローだった。

 このシーズン、1stステージのレッズは優勝の横浜FMに勝ち点11差をつけての3位で終了していた。しかし2ndステージは第2節で首位に立つと第8節現在で2位のガンバ大阪に勝ち点5差を付けていた。横浜FMは勝ち点9差の5位で、残り試合数を考えれば完全優勝は難しくなっていたので、この第9節はチャンピオンシップの対策を練るための試合と、横浜FMが位置づけたとしても不思議ではなかった。

 この試合の横浜FMは最終ラインを深めに取ってエメルソン、田中達也らに裏へのスペースを与えず、中盤でも厳しいプレスを掛けることでレッズに自由な攻撃をさせなかった。その分、攻撃の機会も多くはなかったが、横浜FMにとっては勝ち点2を捨ててでもレッズへの守り方を身につけるという重要な試合だったのかもしれない。

 レッズとしても横浜FM攻略の糸口をつかむ良い機会だったと言えるが、そういう要素がチームにあったのかどうか。当時の僕は優勝に近づくことしか頭になかった。勝ち点1を得て、2位のG大阪も引き分けだったので、優勝に一歩近づいた節だと言えた。
 きょうこれを書いたのは、今にして思えば、ということだ。

競り合っているのは河合竜二。これもCSに生かされたか?

 なお、この試合の入場者は58,334人。シーズン最多というだけでなく、2001年10月13日に埼スタのオープニングゲームでJリーグ最多の60,553人を記録して以来、2番目の多さだった。

 さて、みなさんは2004年10月17日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?