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9月26日(2007年) 全州の地で手にした初のアジア4強

 今年、これを書くのは特に懐かしさを覚える。

 2007年9月26日(水)、浦和レッズは韓国の全州ワールドカップスタジアムに乗り込んで、全北現代モータースとAFCチャンピオンズリーグ2007の準々決勝第2戦を行い、2-0で勝利した。1週間前に埼スタで行われた第1戦を2-1でモノにしており、前年ACL王者を“ストレート勝ち”で下しての準決勝進出を決めた日だった。

 2013年からのACLでは、レッズの同グループに必ず韓国と中国のチームが入っていた。残りの一つがオーストラリアかタイのチーム、というのが2019年までの定番と言って良かった。正直な気持ちを言えば、経費で行けるうちに、香港やベトナムにも行っておきたかったが、それはワガママというものだ。

 レッズが初めてACLに出場した2007年は同グループに韓国勢はおらず、これが初めての韓国遠征だった。
 個人的には2001年にレッズ後援会のスチュワード研修ツアーで韓国に行ったことがあったが、レッズの試合では初めて。
 全州市の全体を知らないので、位置関係はわからなかったが、2002年ワールドカップのときにできたスタジアムでから、やはり街の外れなのかな、という感じの場所だった。
 このときも次のMDPに「ACLアウェイ遠征リポート・韓国全州編」を掲載したので、参考までに。

 試合は開始4分にロブソン・ポンテのシュートをGKが弾いたところを田中達也が詰めて先制。これでトータル3-1となったが、ホームの全北は諦めることなく、第1戦より激しく戦ってきた。その激しさが23分という早い時間に2回目の警告となり、全北の選手が退場。レッズは数的優位も得ることになった。そして66分、オウンゴールでレッズに2点目が入って、この試合もほぼ勝利が決定的となった。

 しかし、こうなると心配なのは選手のケガ。立ち上がりから全北は強度の高いプレーで勝ちに来ていたが、レッズに2点目が入ると、前半の退場に絡んだジャッジへの不満もあってか、ラフプレーが目立つようになった。全北に対して出されたイエローカードは、退場の2枚を含めて7枚。レッズはゼロだった。
 幸い、次の試合に影響するほど痛んだ選手はおらず、レッズは初めてのアジア4強の座を全州の地で手に入れた。

 さて、みなさんは2007年9月26日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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