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6月21日(2009年) 中断明け、勝ってばかりじゃない

 今回は、中断明けに負けたという話だ。

 2009年6月21日(日)、浦和レッズは日産スタジアムに乗り込んで、横浜F・マリノスとJリーグ第14節を行い、0-2で敗れた。Jリーグが5月24日の第13節でいったん中断。4週間後の再開初戦だった。

 このシーズン、就任したフォルカー・フィンケ新監督は、マイボールを大事にし、人が動きボールも動かすポゼッションサッカーをレッズに浸透させた。開幕戦こそアウェイで鹿島アントラーズに敗れたものの、第2節以降9試合を7勝2分けの負けなし。首位に立った。
 その後2分け1敗と勝ち点を積み上げられず、そこで迎えた、日本代表の活動による中断だったので、ある意味では良いタイミングだった。

 しかもリーグ戦中断の期間に行われたヤマザキナビスコカップの予選リーグ後半戦で連勝し、決勝トーナメント進出を決めていた。特に最終節は、大宮アルディージャを6-2で下し、気分が良かった。その8日後の横浜FM戦だったのだ。

 リーグの順位は2位に後退していたが、首位との勝ち点差は4。ここから勝ってまたトップに返り咲くための大事な再開初戦だった。代表の阿部勇樹、田中マルクス闘莉王、都築龍太が復帰し、序盤は優勢だった。このシーズンの特長である、ボールをしっかり回し相手の守備を崩してチャンスを作ったがフィニッシュが決まらず、前半はスコアレスで折り返した。
 後半、横浜FMの攻撃をはね返せない場面が増え、59分に失点。さらに65分には元レッズの山瀬功治に追加点を奪われた。
 レッズは好調なときのサッカーが長い時間持続できず、リーグ再開初戦を落とした。

 何となくだが中断期間があったとき、中断前に良い成績だと再開初戦は良くなく、苦しい状況で中断に入ったときは悪くないリスタートを切れる。法則ではないが、そんな傾向が  あるような気がするのだが。

 さて、みなさんは2009年6月21日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
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