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3.11にしていたこと

 やっぱり、これも書かないではいられない。
 2011年のこの日、仕事に関して記録しておこう。

翌日の準備は終了

 翌12日(土)、Jリーグ第2節ガンバ大阪戦用MDP381号の最終チェックを午前中に終えて印刷会社にGOを出し、その次のホームゲーム、3月16日(水)に行われるナビスコカップ清水エスパルス戦のMDP382号の原稿を書いていた。
 地震発生の14時46分は、クラブスタッフと電話中だった。慌てて電話を切り、セオリーどおり机の下に潜り込んだ。二度目の揺れが来たときには表に出た。事務所のビルの壁からタイルのようなものがはがれ落ちてきた。

明日は中止、水曜日は未定

 落ち着いてから事務所に戻りテレビで宮城県を中心とする東北の惨状を知った。
 サッカーどころではないと思った。そのうち「翌日のJリーグは中止」という連絡が来たが、水曜日のナビスコはどうなるか未定だという。
 困った。水曜日のナビスコ清水戦が開催されるなら、今日(金)のうちにできるだけ進めておかなければ絶対に間に合わない。無駄になることを承知でやるしかない。
 しかし自分のところに被害はなくても、デザイン会社や印刷会社がどうなっているかわからないので、それも確認しなければならないが、連絡が取れない。

中止の事後処理と水曜の準備

 中止になったG大阪戦MDPのうち、いくつかのページはスライドして水曜日のMDPに使用できるはず。
 ・ちょっと加工するだけで使えるページ
 ・今日のうちに入稿しておくべきページ
 ・土日で取材して月曜日の朝イチで入稿するページ
 ・月曜の朝から取材して入稿するページ
 分類して、予定をデザイン会社にFAXで送っておくが、はっきりしたことが言えないのでまだるっこしい。地震の被害がどこまで広がるかわからない中、パニックにならないよう自分を抑えながら粛々と進めた。
 11日のうちにできることをやって、夜中の2時ごろ帰宅した。それまでは帰ろうにも国道17号は渋滞で車が動いていなかった。歩いて帰る選択肢もあったが、翌日車で取材に回ることを考えると、遅くなっても車で帰った方がいいと思った。

4月2日再開から日程組み直しへ

 翌12日、大原へ行き、ゼリコ・ペトロヴィッチ監督や選手の取材をした。13日の日曜日も同様。月曜朝イチで入稿する準備をした。
 14日(月)になって水曜日のナビスコカップとリーグ戦の第3節(19日など)が全て中止になると連絡が来た。それを受けてチームも翌日から1週間オフになるとのことだった。
 再開予定は4月2日(土)のJリーグ第4節ホーム川崎フロンターレ戦ということだ。それに向けたMDPの準備をしなくてはならない。

 その後22日になって中止は4月下旬まで広がることになり、試合日程が組み直された。レッズは4月24日(日)のホーム名古屋戦が再開ゲームとなる。さすがに準備をするのはまだ早い。ただ、これからレッズがどうしていくか、チームだけではなくクラブの動きは記録しておかなくてはならないと思った。

経験できた「未定」の中での準備

 ここからは経験から学んだことを記しておく。
 こういう全国的な危機になった場合、仕事を含めた日常がすべて吹き飛んでしまう人たちがいる。一方、そういうときだからこそ全力で仕事をしなければならない人たちもいる。
 そして多くの人は、仕事がどうなるかわからない状況になるだろう。あるならあるで準備をしておかなければいけない仕事も多いし、ないならないで事後処理が必要になる仕事もある。
 あるかどうかわからない仕事の準備をするのは、なかなか精神的につらいものがあるが、「粛々モード」のスイッチを入れてやり続けた。
 また、日常に戻ったときに何が必要か、と想像した。震災による非日常は、再現されて欲しくないから、逆に起こったことを記録しておくことは貴重な資料となる。
 他人に聞かせるほどの経験ではないが、自分の中ではしっかりとメモされているし、状況は違うが一昨年から生きていることもある。
 何度、MDPのための準備をして「発行しません」と言われたことか。それに関しては2011年の経験が役に立ったと言える。

残せたもの

 最後に写真を2枚紹介する。
 まず幻になったMDP381号・G大阪戦の表紙。そのままスライドして4月24日の名古屋戦MDPに流用しようかと思ったが、季節感があまりにも合わないのでお蔵入りにしたものだ。ちなみに表紙だけでなく全部のページがデータで残っている。僕にとって幻のMDP381号は、3.11を思い起こすスイッチになっている。
 もう1枚は実際のMDP381号に掲載した、レッズの復興支援の取り組みを写真でまとめたページだ。ある意味でレッズの「非日常」だった。
 楽しそうな顔をしているのは、被災地から埼玉県に避難してきた子どもたち。今どうしているだろう。全ての被災地が完全な復興を果たすにはまだ時間がかかりそうだし、施設が復興しても心の傷は残る。自分にできることは少ないが、何かはしていきたい。

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