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1月1日(2007年)強さの証明、二冠、J勢初連覇、ギドの花道、劇的勝利

 2007年1月1日(月・祝)、浦和レッズは国立競技場でガンバ大阪と第86回天皇杯全日本サッカー選手権決勝を行い、1-0で勝利した。何度も迎えたピンチをGK都築龍太をはじめとした守備陣の奮闘で切り抜け、終盤に永井雄一郎が決勝ゴールを挙げて勝利した、内容的には逆転勝ちと言ってもいい試合だった。

決勝のビジュアル。ハートの中のゲートが目に見えて何かのブランドみたい

 G大阪とは2006シーズンの幕開け、ゼロックススーパーカップで対戦し3-0の勝利を挙げた。前シーズンのJリーグ王者に天皇杯覇者が勝った試合だが、別の見方をすれば前年Jリーグ2位チームがリベンジした試合だとも言える。
 
 スーパーカップの1週間後、Jリーグ開幕戦でも顔を合わせ、このときは1-1で引き分けた。
 そしてJリーグ最終節では、2位のG大阪を首位のレッズが埼スタに迎え、3-2で撃破。レッズがJリーグ初優勝を果たした。
 シーズンの最初と最後をG大阪との対戦で締め、優勝の懸かった3試合でいずれもレッズが勝利したのだ。このころから「浦和vsG大阪」をサッカーメディアは「ナショナルダービー」と表現するようになった。

 レッズはこの天皇杯に、リーグ戦で出場機会の多くなかったメンバーを起用して臨んだ。
 実力はあっても、ベンチスタートが続き、多少の、いや相当な不満を抱えていた選手たちが、存分に力を発揮し、アビスパ福岡、ジュビロ磐田、鹿島アントラーズを下して2年連続の決勝進出を果たした。
 Jリーグ最終節と、この天皇杯決勝では先発メンバーが5人替わっていたのだから、ギド・ブッフバルト監督のチームマネジメントのうまさが感じられる。もちろん「Jリーグ2チーム分の戦力がある」とか「紅白戦のレベルが公式戦並みに高い」と言われるほど、一流選手を擁していた時期だからできることでもあったのだが、その評判が事実だと証明することにもなった。
 
 しかし、決勝は思わぬ苦戦を強いられた。
 ここまでG大阪はレッズに公式戦1分け2敗で、とりわけ約1か月前には目の前でJリーグ優勝を決められていた。最後のタイトルは絶対にモノにしようというモチベーションは高かっただろう。
 レッズは何度もゴール前を襲われ、絶体絶命のピンチにフィールドプレーヤーが体を張って守った。とりわけGK都築の活躍はすばらしく、ゴール前を上下左右にプレーエリアを広げボールをセーブし続けた。レッズのシュート6本に対し、G大阪は3倍以上の21本だった。

 その6本のうち、最後の1本がゴールに転がり込んだ。87分に、岡野雅行の右クロスを永井雄一郎が体勢を崩しながらシュート。スピードは緩かったが、前に出ていたGKは戻りきれなかった。

岡野の右クロスに合わせてスライディングシュートを放つ永井

 先制してさらにレッズの守備は堅くなり、そのまま終了の笛を聞いた。

 古巣相手に鬼神のごとき守りを見せた都築。
 値千金の決勝ゴールを挙げた永井。

 この2人は、Jリーグでの出番が少ないことにストレスを溜めていた二大巨頭だった。Jリーグ最終節ではベンチを温めて終わり、優勝の瞬間、他のベンチメンバーやスタッフがピッチに飛び出して行くのを2人とも醒めた目で見ていたのだ。その両者が天皇杯制覇を牽引したのだから、映画にしても良さそうな話だ。

永井「どうする?俺らも行くか?」 都築「別に行かんでええやろ」 結局この後2人ともピッチに出た

 2006シーズン、Jリーグに続いて二冠を獲得した。
 Jリーグ勢が天皇杯を連覇するのはこれが初めてだった。
 このシーズンで退任することが決まっていたギド監督の花道を飾る優勝でもあった。

 劇的だった試合経過も含めて、この2007年1月1日を新年最初の「あの日」として記しておきたい。

 さて、みなさんは2007年1月1日、国立にいましたか。
 テレビの前にいたとしたら、さぞお酒が進んだことでしょう(未成年者を除く)。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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