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5月28日(1997年) 2度追い付き、最後は福田のVゴールでホーム初勝利

 1997年5月28日(水)、浦和レッズは駒場スタジアムに柏レイソルを迎え、Jリーグ1stステージ第11節を行い、延長の末3-2で勝利した。Vゴールを決めたのは福田正博。このシーズンのリーグ戦ホームゲームとしては5試合目で初めての勝利だった。

MDPから

 このシーズンはリーグ戦開幕前にナビスコカップの予選リーグ6試合を一気に行ってしまうという、変則的な日程だった。
 予選リーグは2勝4分けの無敗でグループ2位となり決勝トーナメント進出を決めていた。2勝はいずれも駒場スタジアムで挙げたものだった。

アウェイで勝ててホームで負ける

 ところがリーグ戦が始まるとピタリとホームで勝てなくなった。
 開幕戦の横浜マリノス戦では高卒ルーキーの永井雄一郎が独特のリズムのドリブルで敵陣を何度も切り裂くなど見せ場を作ったが、2-3で惜敗。その後もアウェイで勝つもののホームで負けるという流れが続き、第7節で鹿島アントラーズに敗れた後は、何人かのサポーターがスタジアムの本部正面の道路に押し寄せた。それだけでなく、生卵や発炎筒が投げつけられ、果ては選手が出てくると10円玉が飛んできて、駒場のドアに「ビシッ」という音をたてて落ちたこともあった。福田正博が出てきたときもそうだった。

抗議の表明に暴行は必要ない

 ホーム4連敗というのは情けない話だし、アウェイで勝てているのにホームで勝てないというのは応援する者として納得がいかないのは当然だし、試合後、選手がスタンドまで挨拶に来たときにブーイングするだけでは収まらず、本部前まで行ってクラブスタッフに文句の一つも言いたくなる気持ちも理解できる。
 だが、そこに生卵や発炎筒が準備されているのはおかしいと思う。また10円玉の数枚はいつも持っているかもしれないが、それを選手に向かって投げるという行為は、許されるものではない。
 だが、それは今日の本題ではない。

2度先行されて追い付き延長へ

 そんな状況が続いて、さらにアウェイでも負け始め、3連敗で迎えた、この柏戦だった。
 試合は後半早々先制されるが、74分に福田のゴールで追い付く。レッズは前半から積極的な攻撃を見せていた。しかし89分という決定的な時間に、勝ち越されてしまう。またホームで負けてしまうのか、とあきらめかけたとき、アディショナルタイムにギド・ブッフバルトがミドルシュートを決めて延長に持ち込んだ。

「お前ら、あきらめてんじゃねえ!」とギドが同点ゴール

はじける福田の笑顔が物語るもの

 そして延長後半の114分、カウンターからギドの縦パスを広瀬治が頭で落とし、福田が最後に蹴り込んで決着を付けた。

MDPから

 Vゴールを決めた福田の壊れる寸前の笑顔がこれまでホームで勝てなかった苦しさを物語っていた。 これ以降、ホームですべて勝ったわけではないが、ホームで勝てないという状況はなくなった。

MDPから

 ところで、この試合を思い出すとき、もれなくセットで付いてくるのが、1996年5月4日の「あの日」だ。
 そう。ケガから復帰した福田正博が、背番号14を付けて途中出場し、延長Vゴールで自らの復帰を祝った、あの清水戦だ。同じ駒場スタジアムでの試合だし、個人の復活とチームのホーム初白星という違いはあるが、節目となる勝利を福田がVゴールで飾った、という共通点があるので、記憶の近いところに仕舞われているのだろう。

 そして、Vゴールという制度は福田のためにあったものだと思っている。その証拠に、福田は2002年を最後に現役を引退するのだが、時を同じくして2003年からリーグ戦の延長がなくなっているではないか。
 日本一Vゴールが似合う選手だった。「福田正博のVゴール」と書かれた僕の記憶の引き出しは、パンパンに詰まっている。

 さて、みなさんは1997年5月28日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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