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6月24日(1995年) 「大宮伝説」が本格スタート。C大阪に完封勝ち

 1995年6月24日(土)、浦和レッズは大宮サッカー場にセレッソ大阪を迎えて、Jリーグ1stステージ第19節を行い、2-0で勝利した。このシーズン9勝目。ここからチーム新記録となる6連勝が始まった。

 約1か月の中断から開けた6月17日の第17節で勝利し、幸先良く思われたが4日後のアウェイ平塚戦で敗れ、波に乗り損ねた。
 しかし、このC大阪戦のレッズはパーフェクトな試合で勝った。
 C大阪はパナマ人のバルデス、ブラジル人のマルキーニョスという2人の外国籍選手が得点源で、これまでバルデスが10点、マルキーニョスが5点を挙げていた。その2人をレッズは完璧に抑え、ギド・ブッフバルトを中心に決定機を作らせなかった。

 そして62分、岡野雅行が相手陣内で倒されて得たFKをウーベ・バインが直接決めて先制する。これで優位に立ったレッズは攻勢に出て、78分に福田正博が倒されて得たPKを自ら決めてリードを広げた。そのままレッズが勝ちを収めた。

 この試合でバインが挙げたのが、シーズン10得点目。福田はシーズン9得点目だった。
 そう、この時点では福田よりバインの方がゴール数が多かったのだ。これは、シーズン序盤はPKキッカーとしてバインが指名されていたことが大きい。だが、一度試合でPKを外してから福田がキッカーになった。

 福田が95年に日本人初のJリーグ得点王になったのには、バインのパスが背景として大きかったことは間違いない。しかし、たしかアウェイの広島戦だと思ったが、そこでバインがPKを失敗しなかったら、福田がキッカーになるのはもっと遅かったかもしれない。もし、そうだったら…。
「浦和レッズ30年のタラレバ」に入れてもいいな。

 さて先述したように、このC大阪戦からレッズは6連勝する。本格的な「大宮伝説」の始まりだ。そのたびに書いていくと思う。
 1995年、まだレッズファンでもサポーターでもなかった人にも、ぜひ知っておいてほしい時期なので、読んで欲しい。

 さて、みなさんは1995年6月24日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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