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10月3日(2009年) 5年間待ち望んで撮った写真

 2009年10月3日、浦和レッズは埼玉スタジアムにジェフユナイテッド千葉を迎えて、J1リーグ第28節を行い、3-1で勝利した。

 フォルカー・フィンケ監督の1年目は若手の積極登用という特徴があった。
 ちょうどユースから、山田直輝、原口元気、濱田水輝、永田拓也、高橋峻希がトップに昇格した年でもあり、彼らにとっては良いめぐり合わせだったと言える。

 高橋峻希はユース時代、攻撃的な右サイドハーフを得意にしていたが、トップでは右サイドバックを定位置として与えられ、そこには「超」がつくレギュラーの山田暢久がいたので、なかなか出番が回ってこなかった。
 第27節で山田が通算8回目の警告を受け、シーズン2度目の出場停止となったこの千葉戦。峻希が9試合ぶりに先発し、2009年昇格組フリークと言ってもいい(笑)僕は大いに期待した。

 試合は千葉に先制されるが、10分に阿部勇樹が倒されて良い位置でFKを得ると、阿部自身が古巣に対して伝家の宝刀を抜いた。右足から放たれたボールはGKが届かない外側から回ってゴールイン。同点に追いついた。

阿部のFKが決まったリプレーを見て再び盛り上がるゴール裏

 そこから拮抗した展開になったがホームのレッズが徐々に攻勢を強め78分、エジミウソンが勝ち越しゴールを決めた。さらに85分、右サイドを上がってきた峻希が強烈なミドルシュートでダメ押しの3点目を挙げた。

待望のJ初ゴールを挙げた高橋峻希

 峻希はピッチを横断すると一目散にベンチを目指した。ベンチからはこの試合控えだった直輝、先発して81分に交代したばかりの元気が飛び出してきて、Jリーグ初ゴールを挙げた仲間を迎えた。

 ちょうど、彼らがレッズジュニアユースで活躍するようになった2004年8月、僕はクラブの要請で「リトルダイヤモンズ」というアカデミーの広報紙を作り始め、それまでより育成年代の取材に力を入れるようになった。 
 それから5年。ずっと、こんな写真を撮ることを待ち望んでいたような気がした。

直輝と元気のうれしそうな表情が彼らの結束の固さを示している

 さて、みなさんは2009年10月3日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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