見出し画像

2月17日(2009年) 二次キャンプが指宿でスタート

 2009年2月17日(火)、浦和レッズは鹿児島県指宿市で二次キャンプをスタートした。1月16日から26日まで宮崎で一次キャンプを行い、浦和に戻ってレッズフェスタをはじめとした開幕前恒例の行事を実施して、この日から26日までのキャンプだった。

 宮崎では市内のホテルに泊まって、レンタカーで練習場の宮崎県総合運動公園まで行き、その後チームが泊まっているホテルへ行って選手の取材という毎日だった。この年就任したフィンケ監督は、メディアの取材から選手をガードする姿勢が強く、練習後にその場で5~10分程度の囲み取材はNGで、メディア側が相談してリクエストした数人がホテルで取材に応じるという方式だったので、ホテル→グラウンド→チームホテル→自分のホテルというルートの毎日だった。

 指宿ではクラブにお願いして、同じホテルの選手とは別の棟に宿泊させてもらうことにした。高いホテルだがレンタカーを借りることを考えれば総体的には安くあがるし、移動の時間も少なくなる。
 フィンケ監督のキャラクターは独特で、なかなか付き合うのが難しそうだったが、サッカーはそれまでと違ってパスを多用してボールを保持し、主導権を握ることを基本とするものに変わった。
 そういうサッカーをする、と監督が公言したのは初めてで、そういう面での新鮮味はあった。

 この指宿キャンプでは韓国の浦項スティーラーズ、蔚山現代、当時JFLのFC琉球、そして指宿では毎回相手をしてくれる鹿屋体育大と練習試合があった。基本的にレッズがボールを持つ方が写真の枚数が多くなる。フィルムではなくデジタルカメラで良かった。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?