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2月5日(2007年) 1年でいいからアジアへ連れて行ってほしかったもの

 今回はまったく僕のわがままな意見だ。

 2007年2月5日(月)、浦和レッズはヒューゴ・ボス・ジャパン株式会社とのオフィシャルパートナー契約締結を発表した。

 アジアへ初めて出ていく年、さらに優勝すれば世界の舞台に浦和レッズが名を連ねることになる。オフィシャルスーツをワールドワイドなブランドにするというのは、戦略としてうなずけることではある。

 ただ前シーズンまで、レッズは埼玉県に本社を置くオーダースーツメーカーの老舗「花菱」さんがパートナーだった。 
 パートナーになったとき、僕も1着作ってもらったのだが、今も着られるほど長持ちしている。サイズがきつくなったのは服のせいではない。

 僕のワガママというのは、できることなら1年だけでも埼玉ブランドのスーツでアジアへ行ってほしかった、ということだ。
「花菱」さんは、それを望んでパートナーになったというより、地元のチームだから支援してくれていたに違いない。
 だけど、アジアや世界に進出しても、それまで地元で支えてくれたパートナーのスーツを着続ける、というのは、ある意味で格好良いと思うのだ。
 
 しかし、僕が知らない事情があったと思う。だから、僕の本当に個人的な意見だ。

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