そんなことより

【無料公開中】 「月の人 」(佐藤文香『そんなことよりキスだった』より)

12月25日発売、佐藤文香著『そんなことよりキスだった』から4篇を公開しています! 笑える。切ない。少しヘン!?下心満載!言葉遊びを少々加えた恋愛小説30景!! メガネで天パー。前向きで目立ちたがりな佐藤さんは、恋しかしてこなかった。 パワフルにあたって砕け、幾重もの恋がめぐる…。 ★装画は同じく1985年生まれの漫画家山本さほさんが担当★

月の人

宏くんはカメラマンで、フィルムを家で現像する。
宏くんが暗室をやっているあいだ、わたしは宏くんのベッドの中に隠れている。
「おいで」
わたしは、宏くんに呼ばれて飛び出す。
「ホース持って、ずっと流しといて」
わたしは、水流し係。
「パグちゃんはいつまでパグなの」
宏くんは、わたしのことをパグちゃんと呼ぶ。
「わたしはなんでパグちゃんなの」
「顔がつぶれてるから」
たしかに顔は少し平たいし、鼻の穴は少し前を向いているけど。
つぶれてるってほどではないと思う。
「なんでパグちゃんと付き合うことにしたの」
「俺は鳥目だから」
宏くんと会った日、口論のまま布団に入って、朝が来た。
そのあいだ宏くんに、わたしの顔は見えていなかったのか。
「なんでパグなのに付き合い続けてるの」
「俺は鳥だから」
宏くんは、鳥ならはやぶさに似ている。

 *

宏くんは、お酒をたくさん飲んで帰ってくる。
写真のつきあいがあるらしい。
わたしは、朝の四時、宏くんを迎えに出る。
「おいで」
宏くんだ。
空がすこしあおじろい。
「パグちゃん、プレゼント。月の石だよ」
宏くんは、建築中のおうちのレンガを、勝手に取って来た。
「宏くん、だめだよ。返してこなくちゃ」
「パグちゃんは、俺のプレゼントを受け取れないのか」
「プレゼントの気持ちは嬉しいけど」
「もうパグちゃんには、プレゼントあげない」
宏くんは、アパートの二階から、レンガを落とした。
レンガはまっぷたつ。
「あぁあ。もう月の石は手に入らないよ」
「でもパグちゃんは、宏くんが帰って来てくれるだけでいいんだ」
宏くんが帰るまで布団の中で待つのは、いつもつらい。
帰って来てからも、いつもつらい。
「俺ももう帰ってこないよ」
「それはいやだ」
「俺は月に帰る」
宏くんは、月の人。
どうりで、宏くんはきれいだ。

 *

宏くんに写真を撮ってもらった。
わたしは、パグに似ていた。

 *

宏くんの実家に行った。
「おいで」
振り向いたら、宏くんが、犬を呼んだのだった。
「おいで」
また振り向いたら、宏くんのお父さんが、犬を呼んだのだった。
どうりで、わたしは、パグちゃんなのだ。

 *

宏くんには、彼女がいるらしい。
わたしのブログに、何者かが、何度にもわたって、そう書き込んだ。
きっと、そうなんだろうと思った。
それでもいいと思った。
わたしは、彼女じゃなくて、パグちゃんだから。

 *

宏くんの家で寝ているとき、女の人が来た。
野々村だと言って、宏くんは玄関で応対した。
わたしは、ベッドの中に隠れていた。
あとで、かわいい人? と聞いた。
宏くんは、全然かわいくない、と言った。

 *

野々村さんの写真を、ネットで検索した。
チワワに似ていた。
宏くんはきっと、野々村さんが好きなのだろうと思った。
少し、安心した。
チワワちゃん、宏くんを、よろしく。

佐藤文香(さとう・あやか)
1985年兵庫県生まれ。池田澄子に師事。第2回芝不器男俳句新人賞にて対馬康子奨励賞受賞。アキヤマ香「ぼくらの17-ON!」①~④(双葉社)の俳句協力。句集『海藻標本』(宗左近俳句大賞受賞)、『君に目があり見開かれ』。詩集『新しい音楽をおしえて』。共著『新撰21』、編著『俳句を遊べ!』、『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳②生と夢』、『天の川銀河発電所 Born after1968 現代俳句ガイドブック』など。

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