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高齢社会のリアル。エレベーター前の車椅子の行列に、涙が止まらなかった日。

忘れられない光景がある。

ふとした瞬間思い出しては胸が締め付けられる。

それは、車椅子の行列。

もう、15年以上前の話。私が大学生の頃、実習でとある高齢施設に数日いたことがある。介護が必要な高齢者がそこでケアを受けながら生活をする施設。規模としては100人程度。高齢者が個室、大部屋で集団生活をしている。

私は個室のAさんを担当させてもらっていた。

その施設は建物としてはとても綺麗だった。5階建てだっただろうか、光が行き渡るように中央に中庭が作られ、それを囲むようにロの字に各部屋が配置され、木がふんだんに使われていて明るい。廊下も広く、ぱっと見好印象。

でも、、、空気は淀んでいた。

なんというか、人の行き来がないのだ。歩ける高齢者もそこそこいたはずだが、誰も歩いていない。車椅子の方もいるはずだが、誰も通らない。そもそも家族もあまり来ない。閑散としていて施設内に動きがない。時折通るスタッフ以外、ほぼ人を見かけない。人の話し声も聞こえない。だから空気が動かず淀んでいるように見える。

あれ?皆どこ?

担当のAさんもベッドに横になっているだけで日中なのに動かない。話しかけてもあまり歓迎されていない感じだったので、私は手持ち無沙汰になり、見学がてら施設をぐるりと回って見ることにした。

そこで見たのだ。その光景を。エレベーター前で列をなして並ぶ高齢者の方々の姿を。

それは異様な光景だった。

時刻は10時を刻んだ頃だっただろうか。エレベーター前に15台くらいの車椅子が行列をなしている。車椅子に乗る高齢者たちは一様にエレベーターを見つめ、お互いに会話を交わさない。ただ、ただ、エレベーターの方を向いて順番を待っている。しかもエレベーターが来ても乗らない。目の前でエレベーターが開いて閉じていく様をただ見ているだけ。

でも、その時の私は、あー、レクレーションか何かが始まるのかな?それを待ってるのかな?と思って、さらっと見ただけで、そこを通過した。

その1時間後、再びそのエレベーター前を通った。私は衝撃を受けた。そこには1時間前と変わらぬ光景が広がっていたのである。

全く同じ顔ぶれの車椅子の高齢者の方々が、エレベーター前に行列を作っている。無言でただエレベーターを見つめる様は異様としか言いようが無かった。

私は怖くなり、バタバタと忙しそうに働くスタッフの方に声をかけた。「すみません。あの、エレベーター前の方々はなんで並んでいるんですか?」

スタッフは迷惑そうに答えた。「昼ごはんを待ってるのよ。」そして、そのままバタバタ向こうへ行ってしまった。

昼ごはんを待っているのよ?私の頭は混乱した?え?昼ごはんを待っている?確かに食堂は1階でここは3階だ。車椅子の方はエレベーターを使わないと下に降りられてさない。にしても10時頃から待ってたよな?あれ?聞き間違い?

その後も私はその行列が気になって気になって仕方なく、また30分後にAさんの部屋を抜け出して様子を見に行った。

そこでさらに衝撃的な光景を目にする。

先程並んでいた車椅子の高齢者の方々を、2人のスタッフがまるでものを扱うかのように無言でエレベーターに押し込んでいるのだ。エレベーターは大きいものではなく、車椅子2台〜3台しか乗らない。エレベーターが1階3階をせわしなく動き、スタッフが扉が開く度に無言で車椅子を押し込んでいく。しかも、並んでいる順番を無視して。

先頭に並んでいた方は取り残されたまま、3番目に並んでいた方、7番目に並んでいた方がエレベーターに押し込まれていく。そして、誰も何も話さない。「お先に〜」という掛け声も「ごめんね」という断りも何もなく、ただスタッフが良いと思う順番でエレベーターに乗せられていく。

おそらく、想像するに、その順番は食堂で座る順番なんだと思う。スタッフとしては、奥から順番に詰めていった方が楽で、エレベーター前で並んでいる順番関係なく食堂の座る順番でエレベーターに乗せているのだ。

その後、食堂での食事の風景も見学させてもらった。あんだけ並んでたのだから、余程美味しい食事なのかなとも思ったけど、無言でもぐもぐと食べている様子を見ていると、そうでもないらしい。ただ、彼ら彼女らは、やることがないから並んでただけだったのだ。だって、それを証明するかの様に、私はまた同じ光景に出会ってしまったから。それも、その日の午後に。・・・今度は夕飯を待っているという。

これが、毎日繰り返される。

あれ?日本国憲法で、私たちは何の権利を保障されてたっけ?憲法は、25条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」として、生存権を保障してくれてなかったっけ?これ、「健康で文化的な最低限度の生活」だっけ?

部屋に戻った。私と反対を向いて窓を眺めるAさんと話す。Aさんはここでの生活を諦めている様だった。無気力、無感動、無関心。そうしないと自分の気持ちを保っていけないようだった。Aさんは言う。ここを出たいと。ここは私の家じゃないと。そして最後に一言いった。「死にたい」と。

もう、私は、目から流れるものを止めることが出来なかった。個室といっても、常に扉が解放され、プライベートもあったもんじゃないその部屋で、私は無言で泣いた。実習中だからと我慢していてが、我慢の限界だった。そのあと暫く何度も涙を止めようと頑張ばったのだが、涙は止まることはなかった。

顔を見に来ない家族。Aさんはそれでも個室だから、家族はお金はそれなりにかけてここに入れてくれてるし、家族にも生活があり、しょっちゅう来れない事もわかる。

せわしなく動くスタッフ。明らかに足りてないように見えた。スタッフ同士も笑顔で会話することなく、とにかくその日の業務をこなすことに精一杯の様子の様子が見られた。それもわかる。

高齢者同士。高齢者同士で話してもいいんだろうけど、なぜかあまり話さない。何か私の知らない過去の経過があるのかも知らないし、今まで生きてこられた人生の価値観もあるのかもしれない。

でも、何かうまく噛み合わない。

何か、もっと、あと少し、そう、ちょっとの会話だけでもあれば違う気がするが、そのちょっとが進まない。

私は知っている。このような施設じゃない施設もたくさんたくさんあることを。頑張っているスタッフさんもたくさんたくさんいる事も。私の祖母も施設にお世話になっているが、入所者さん同士で会話もぺちゃくちゃしてるし、スタッフさんも声をかけてくれる。流れ作業でもないし、個人として尊重してくれているなと感じる。

でも、思う。このまま高齢化が進めば、スタッフの手は足りなくなって、余裕がなくなって、最低限のサービスをこなす事で手一杯で、この様な光景が増えていくのではないかと。介護士不足はずっと叫ばれているが、どうやったら解消するのか、解決が見えない。

あの日、泣いた日、色々考えた。どうやったら少しでも良くなるのかと。でも私は学生で、何にもできなくて、結局、無駄に空気読めないフリをして色々な人に話しかけるということしか出来なかった。

あの日の後悔が未だにずっと心に残っている。

車椅子が2台続いて並んでいるのを見た日、介護士不足のニュースを見た日、高齢者施設の横を通った日、たまに、ふとあの日の光景を思い出す。あの施設では、あの後も同じ光景が続いているのだろうか。

未だに私の中で解決は見えない。

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