一緒に頑張りましょう、という言葉。

「一緒に頑張りましょう。」という言葉を、意図的にかけることがある。

私の仕事柄、人から相談される事も多く、得てしてすぐに解決しない内容が多い。だから、自分を鼓舞するためにも、一緒に頑張りましょう、と使う。

正直、うっわー、面倒くさいなあー、出来れば関わりたくないなあー、みたいな相談もくるが、それも仕事だ。一緒に頑張りましょう!ということで、ある種自分も、やりますよ!と宣言して、自分事してしまう。魔法の言葉。

そして、その言葉を使う事で、まるで、一緒の目的に向かうチームのような感覚に相手になってもらい、こちらを信用してもらう、という打算的な考えもある。だって、信用してもらったほうが、その後、上手く進みやすいんだもん。

という訳で、どちらかというと、一緒に頑張りましょう!と言う方だったのだが、今日、久々に逆の立場になって、一緒に頑張りましょう!と声をかけられた。

今日、三人目の妊娠が判り、初めての妊婦健診に行った。エコー画像を見せられ、心臓が動いている画像を見て、「良かった〜」と私は言った。実は2人目の後、1度授かったのだが、心音を確認する前に、流産してしまった過去があったから。心音を確認できれば流産率は格段に下がる。だから、良かった〜と言ったのだ。そしたら、医師がその私の言葉を聞いて、「不安だったでしょう。でも、心音確認出来ましたね。良かったですね。これから、赤ちゃんに出会えるまで、一緒に頑張っていきましょう」と声をかけてくれた。

その瞬間、急に安心感が出てホッとした。そして心強かった。ああ、この人は、全くの赤の他人だけど、私の為に頑張ろうとしてくれてる、一緒に寄り添ってくれようと思ってくれてる、そう感じた。例え、先生が、気軽にその一声をかけたとしても、私のように打算が入ってたとして、それでも受けた側としては、心強かった。

もしかしたら、私が声をかけた人たちも、少しはこう感じてくれた人がいたのだろうか。一緒に頑張ろうと思った気持ちに嘘はないが、気軽にかけてたこともあった。でも、今日、受ける側になって、この言葉を受け取って、その言葉の力強さを感じて、改めてこの言葉の威力を感じたし、その強さを認識しながら、真摯にこの言葉を使っていきたいと思った。

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