性的倒錯

「写真について性的な目で見られることに嫌悪はないのか?」とのご質問を頂いた事が有ります。

私が服を脱ぐのは、私にしかできない表現、頭の先から爪先まで全く同じものを持つ人は世界中どこを探してもいないと思います。ただ一つ決定打に自分の裸体は自分だけの所有物、表現物であると認識しています。

服を脱いだら皆持っているものは同じですし、お肉を食べたい、眠いので眠りたい、と言う欲求は考えるなと言われても難しい、と言うより不可能です。なので

"性的に見られる/見ることは否定も肯定もしない"ご自由にどうぞ。と言う感情ではあります。

が、私が服を脱ぐきっかけと言いますか根元的な部分の幼少期に耳にした"女性の裸はどんな宝石よりも美しい"との言葉があります。正味な話どんな芸術も崇高な作品も負の感情、性的衝動、または喜びからしか生まれはしないし、裸婦画だなんて男性が女性を口説くための道具にすら使われてきたことでしょう。(勿論そうでない方もいらっしゃると思いますが)下心からできた下心さえ感じさせない素晴らしい作品があることは確かです。しかし根本的にはどんな作品にも性や性(さが)がなければ生まれないと思いますし、私はそれをいつも愛おしく思っております。

なので皆さん、どうか様々な芸術を提供してくださる男性/女性に対しても礼儀を欠かぬよう、素晴らしい作品には素晴らしい言葉で、大切に選んだ台詞で、自己の本音をフィルターに通して相手に伝えるようにしましょう。下心を直に投げつけるのでは無く、一度反芻してからにしましょう。さもないと貴方は製作者から嫌われることでしょうし、また第三者から見られる時も同じような気持ちにさせることでしょう。

これからも素晴らしい作品を作り続けて貰うために、自身が出来ることを致しましょう。

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